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目を覚ましていなさい

マタイ15:13
集会祈願

全能の神よ、あなたは人類の歴史に働きかけ、すべてを完成に導いてくださいます。主が来られる日を待ち望んでここに集まるわたしたちの目を開き、今この時に必要なことを見極める知恵をお与えください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (知恵6.12-16)

12知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。
13求める人には自分の方から姿を見せる。
14知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。
15知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
知恵を思って目を覚ましていれば、
心配もすぐに消える。
16知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちに優しく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。

???? 答唱詩編 詩編63 典10 ①②③

答 荒れ地のかわき果てた土のように、
  神よ、わたしはあなたを慕う。

神よ、わたしの神よ、わたしはあなたをしたう。
水のない荒れ果てた土地のように、
わたしの心はあなたを慕い、
からだはあなたをかわき求める。 【答】

あなたの力と栄にあこがれて、
聖所であなたをあおぎ見る。
あなたの恵みはいのちにまさり、
わたしの口はあなたをたたえる。 【答】

いのちのある限り、あなたに感謝し、
手を高く上げてあなたの名を呼び求める。
もてなしを受けた時のように、
わたしの心は豊かに満たされる。 【答】

???? 第二朗読 (一テサロニケ4.13-18または4.13-14)

13兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。 14イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。15主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。 16すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、 17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。 18ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

アレルヤ唱 典274(32A)

アレルヤ、アレルヤ。目ざめて用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (マタイ15.1-13)

マタイによる福音

1〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。 3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。 4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。 5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。 7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。 8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。 11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。 12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。 13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

奉納祈願

ひとり子を花婿としてお与えになった神よ、救いのうたげに招かれた喜びのうちに祈ります。ふさわし心でこの神秘にあずかり、主キリストを迎えることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

神である父よ、ひとり子イエスの死といのちに結ばれて祈ります。偽りや憎しみが支配するやみの中にあっても、信仰と愛のともしびを掲げて生きることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 道を歩いていると、木の葉が色づき、秋の深まりを感じます。11月に入り、教会暦もいよいよ終わりが近づいてきました。今月末から待降節、そして、新しい教会暦年に入ります。
 そんな時期、典礼のみ言葉にも、それを感じさせるものがにじんできます。今年はA年でマタイ福音書が読まれてきましたが、今日は受難の直前に置かれた、世の終わりにまつわる一連のたとえから、25章の「十人のおとめのたとえ」が読まれました。花婿の到来を待ち受ける10人のおとめ―5人の賢いおとめと5人の愚かなおとめ―の話です。「目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」と、再臨の日に備えるようにと促す言葉で結ばれています。

 今の時代、頻繁に起きる自然災害に対して、社会全体が非常に敏感になっていて、繰り返し、非常時に備えて、あれこれ用意するよう呼びかけられています。先日も、超大型の台風が接近した時、自分も含め多くの人が、水や、電池や備蓄用の食品等が、たちまち、店頭から無くなったことを覚えておられるでしょう。自然災害に対しては、必要以上に警戒心を抱きますが、はたして、わたしたち自身の人生の終わりについて、また、この地球そのものの終わりについてどれだけ考えが及んでいるでしょうか。
 福音に登場した賢いおとめは、ともしびと共に壺に入れた油を用意していたのに対して、愚かなおとめたちは、ともしびだけ用意して、油を用意していなかった、とあります。これは何を意味するのでしょうか。

 「賢い」とは、聖書の中では、単に頭がいい、鋭い、回転が速いということではありません。今日の第一朗読の『知恵の書』と同時代に書かれた『シラ書』には、「主を畏れることは知恵の初めである」(シラ1.14)という言葉があります。また、「主を畏れる人は、主の掟に背かない。主を愛する人は、主の道を歩み続ける。主を畏れる人は、主を喜ばせようと心がけ、主を畏れる人は、常に心の備えをし、主の前で、自らへりくだる」(1.15~17)ともあります。主の前で賢いということ、真の知恵とは、心が神に向けられていて、神からそれないということではないでしょうか。反対に、聖書で「愚かな」人とは、神に逆らう人、神への畏れを持たない人、「神はない」、「神は見ていない」、と言い、また、そのようにふるまう人のことでしょう。主がいつお出でになってもよいように、備えができているということは、たとえ様々なことに心の表が動かされ、波立つことがあっても、心の底がしっかりと神に心が向けられ、揺らぐことがないということではないでしょうか。

 わたしたちが用意していなければならないのは、決して、いつの日かわからない遠い未来のこと、世の終わりのことだけではありません。ひとりひとり自分の人生の終わりについて、思いを向けなければなりません。特に、この全世界を覆っているコロナの災禍の中で、自分は関係がないと言える人はどこにもいません。死者の月と言われる11月の間、身近なところで亡くなられた方々のことを考えてみましょう。自分の人生は、自分のものではなく、主のものであり、主が望まれる時に、いつでも、それにお応えできるよう準備していなければなりません。最近、「終活」という言葉が聞こえるようになりましたが、まじめに、そのことも考えなければなりません。

 同時にわたしたちが生きているこの世界、この地球にも、いつか、それは、わたしたちが生きている間ではないでしょうが、終わりが来ること、を忘れてはなりません。その時のために、よりふさわしい形の世界を、そして、地球を神様にお返しすることができるように、わたしたちにも、できることがあるはずです。どのような形でお返しができるか、それは、わたしたちの生き方にかかっています。地球にある資源の使い方、そこにある生命に対してどのように接しているか、その命が生き続けるために何をしているか、「すべての命を守るために」を来日のモットーとされたフランシスコ教皇の言葉を守りましょう。たとえ、終わりがあるとしても、その限られた時間の中に与えられた素晴らしい命の恵みを大切にし、主が約束された終わることのない命に共に与ることができるよう、導きをお祈りいたしましょう。(S.T.)

年間三十二主日(11月8)
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