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あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい

ルカ10:20
集会祈願

???? 第一朗読 (ヨブ42:1-3、5-6、12-17)

 1ヨブは主に答えて言った。2あなたは全能であり御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。3「これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。5あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。6それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し自分を退け、悔い改めます。12主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。 13彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、 14長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。 15ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。16ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。 17ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。

???? 答唱詩編 詩編119 典75③④

アレルヤ唱 典271⑫

???? 福音朗読 (ルカ10:17-24)

ルカによる福音

 17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」21そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 22すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」 23それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。 24言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 弟子たちは、悪霊さえも服従させるという素晴らしい経験をして帰って来ました。「主よ、お名前を使うと」と言っているのは大切なことです。彼らの働きはすべて、主イエス・キリストのお名前によってなされました。主イエスのことを宣べ伝える中でこそ、病気をいやし、悪霊を服従させることができたのです。主イエスのみわざが自分たちを通して、そのみわざのために用いられるという素晴らしい体験を彼らは与えられました。72人は、エルサレムへと向かう主イエスの先駆けとして遣わされました。このとき、主イエスが十字架で死なれ、復活して天に昇られる時が近づいていました。

 主イエスが昇天されるとき、私たちを支配していたサタンが力を失って天から落ちるのです。主イエスにはその様子を前もって見られたのです。神様の恵みの力がサタンに勝利しました。その恵みとは、独り子主イエスの十字架と復活とによって、神様が私たちの罪を赦して下さったという恵みです。その恵みによって、もはやサタンがどれだけ私たちのあら探しをしても、神様は私たちを赦して下さっています。

 サタンが稲妻のように天から落ちるのは、神様の恵みによる罪の赦しが実現したことを示しています。「へびやさそり」は、危険な敵、心の内なる悪の思い、様々な誘惑、罪の力の象徴と解することができます。それらに打ち勝つ力も主によって与えられます。

 しかし、主イエスは悪霊が服従することが本当に喜ぶべきことではないと言われます。本当の喜びは、私たちの名が天に書き記されていることにこそあるのです。神様が、ご自分の救いにあずからせる者として私たちの名を書き記して下さっています。神様のリストに書き記されているということは、もはやそれは消し去られることはありません。地上の人生においてどのようなことがあっても、神様は「この人の名は、私のこのリストに書き記されている。この人は私の民、私の救いにあずかる者だ」と宣言して下さるのです。

 そこにこそ、私たちに与えられる本当の喜びがあります。主の十字架によって私たちは罪赦され、主のものとされている、この喜びが与えられるとき、地上の人生において何があっても、「あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。」と言われる約束が真実であることを知ることができるのです。聖母マリアの取次によってこの喜びをもっと多くの人たちが知ることができるように祈り、日々の生活の中で証ししてまいりましょう。

年間第二十六土曜日(10月3)
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