9+

なんという空しさ、すべては空しい。

コヘレト1:2
集会祈願

🌸 第一朗読 (コヘレト1:2-11)

2コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
3太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう。
4一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
5日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
6風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
7川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。
8何もかも、もの憂い。
語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく
耳は聞いても満たされない。
9かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
10見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
11昔のことに心を留めるものはない。
これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。

🌸 答唱詩編 詩編90 典52①③

アレルヤ唱 典269 ㊼

🌸 福音朗読 (ルカ9:7-9)

ルカによる福音

 7〔そのとき、〕領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、 8「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。 9しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 イエスをだれだと思うか。これは、だれもが抱く問いで、それぞれ自分の答えを出さなければなりません。イエスの弟子たちも、イエスに敵対する人も、わたしたちも。そして、ヘロデのような時の為政者も。

 今日は、ヘロデの場合が取り上げられています。いろいろなうわさが耳に入ります。一つは、ヘロデが首を切ったヨハネが生き返ったのだ。いつか現れると言われたエリヤだ、いや、昔の預言者の一人がよみがえったのだ、と。そして、マルコによれば、へロディアに唆されてヨハネを殺したヘロデは、イエスを「正しい聖なる人」と受け止め、「彼を恐れ保護し、教えを聞いて当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた」(マルコ6.20)。ルカも、今日の最後にあったように、「イエスに会ってみたいと思った」と記しています。

 しかし、結局、受難の折に、ヘロデは、兵士たちとともに、「会いたいと思っていた」「イエスをあざけり、侮辱し、派手な衣を着せ、ピラトのもとに送り返した」(23.8、11)とあります。

 イエスを知るには、人々のうわさに惑わされたり、昔からの言い伝えに縛られたり、自分の勝手な思い込みで判断したりするのではなく、その言葉を虚心に聞き受け入れ、イエスと共に歩むこと、そして、イエスと共に十字架を担うことが必要なのではないでしょうか。

年間二十五木曜日(9月24)
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