♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第二木曜日(1/19)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

イエスが多くの病人をいやされた

マルコ3:10

聖アグネスおとめ殉教者

集会祈願

神よ、あなたはこの世の弱い者を選び、強い者をはずかしめられます。聖アグネスの殉教を記念するわたしたちが、その信仰と勇気に見習うことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (ヘブライ7.25~8.6)

 25〔皆さん、イエスは〕常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
 26このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。 27この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。 28律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。
 1今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、 2人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。 3すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。 4もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。 5この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。 6しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。

🌸 答唱詩編 詩編40 典54 ③⑤

答 神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び

わたしは人々のつどいの中で、
あなたの救いのわざを告げ知らせ、
けっして口を閉じることがない。
神よ、あなたはそれを知っておられる。  【答】

あなたを求めるすべての人は、
あなたのうちにあって喜び楽しみ、
救いの力をとうとぶ人は
「神の偉大なかた」といつもたたえる。  【答】

アレルヤ唱 典273 30B

アレルヤ、アレルヤ。わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ3.7-12)

マルコによる福音
 7〔その時、〕イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、 8エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。 9そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。 10イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。 11汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。 12イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。

奉納祈願

全能の神よ、聖アグネスの殉教を記念して祈ります。迫害の苦しみに打ち勝った聖女の取り次ぎを顧み、この供えものを心にかなうものとしてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

信じる者の希望である神よ、あなたは聖アグネスに、純潔と殉教の冠をお授けになりました。秘跡の力に支えられて、わたしたちもすべての悪に打ち勝ち、あなたの国に入ることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 福音書の3章、まだ、はしりの部分に、マルコは、イエスの働きのまとめを記している。それはイエス自身の働きよりも、人々の間に起きた反応に焦点が置かれているようにも見える。一方で、昨日読まれた箇所にあったように、ファリサイ派の人々はヘロデ派の人々とイエスを亡き者にする相談をする。他方で、後にイエスが訪れるであろう周辺のあらゆる地域にイエスの噂が飛び交い、人々はイエスのもとに押し寄せてくる。「おびただしい群衆」とマルコは2回も強調する。「群衆に押しつぶされない」ようにと、イエスは弟子たちに小舟まで用意させる。
 そうした光景を見ただけで、ファリサイ派の人々だけでなく、当時の支配者たちも、ただちに現体制に対する脅威を感じたに違いない。しかし、イエスは、彼らとは別の意味で、人々の反応を警戒された。それは、イエスについての人々の理解が、イエス本来の使命を脅かすものだったからである。イエスにもっぱら病気の癒しを求める人々が殺到し、そこに神の力を察知した霊が「あなたは神の子だ」と言ったとき、「イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた」とある。ヨハネは、パンの増加の出来事の後、人々が自分を王にしようとしていることを知り、ひそかに山に退かれたと記す。イエスは、まさに、そのような人々の思惑がうずまく現実の中に身を置き、そこで救いの業を全うされたことをマルコは記そうとしたのだろうか。(S.T.)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

関連投稿🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

コメントする