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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

年間第二主日(1月17)

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見よ、神の小羊だ

ヨハネ1:36
集会祈願

一人ひとりに呼びかけてくださる神よ、世に遣わされたひとり子イエスは、生涯をかけて福音を告げ知れせてくださいました。きょう救いことばに心を開くすべての人が、いのちの道を見いだすことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。

🌸 第一朗読 (サムエル上3.3b-10、19)

 3〔その日、少年〕サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。 4主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、 5エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。
 6主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。 7サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。 8主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、 9サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
 10主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
 19サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。

🌸 答唱詩編 詩編40 典54 ①②③

答 神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び。

わたしはせつに神を呼び求め、
神は、耳を傾けて
私の叫びを聞き入れられた。
神はわたしの口に新しい歌を、
神への賛美の歌を授けられた。  【答】

神よ、あなたの不思議なわざは数えきれず、
そのはからいはたぐいなく、
わたしがそれを告げ知られても、
すべてを語り尽すことはできない。  【答】

わたしは人々の集いの中で、
あなたの救いのわざを告げ知らせ、
けっして口を閉じることがない。
神よ、あなたはそれを知っておられる。  【答】

🌸 第二朗読 (一コリント6.13c-15a、17-20)

 13〔皆さん、〕体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。 14神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。 15あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。17主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。 18みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。 19知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

アレルヤ唱 典271 2B

アレルヤ、アレルヤ。油注がれた者キリストによって、恵みと心理は実現した。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ1.35-42)

ヨハネによる福音

 35〔その時、〕ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 36そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。 37二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。 38イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、 39イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。 40ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。 41彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。 42そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

奉納祈願

豊かないつくしみを注いでくださる神よ、ひとり子を与えて下さった、あなたの愛にこたえて祈ります。きょうもキリストのもとにとどまり、おろこびをもってこの食卓を囲むことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いのちの源である神よ、主の晩さんを祝った喜びのうちに祈ります。主キリストから力を受けたわたしたちの生活が、主に従う喜びを表すものとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 年間第二主日の福音は、ヨハネが記す弟子たちのイエスとの出会いの場面。年の初めにあたって、信仰の出発点を考えるにふさわしい材料ではないか。弟子たちとイエスの出会いというと、すぐに舟を置いてイエスに従った弟子たちの姿が思い出されるが、ヨハネはもう少し、出会いの機微を伝える描き方をしている。

一つは、弟子たちをイエスに紹介する洗礼者ヨハネの存在。イエスを「神の小羊」と紹介されると、弟子たちは、先生のヨハネを置いて、イエスに従ってゆく。そんな記憶はないだろうか。誰かの一言、先生や先輩のやさしい言葉、そんな導きでわたしたちも信仰の道へ、また、召命の道に招かれたのではないか。弟子たちは、それまで「師」と仰いだヨハネを離れてイエスのもとにゆく。ヨハネは、それを「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と冷静に受け止めたのだろうか。

しかし、それ以上に印象的なことは、イエスと弟子たちのやりとり。ヨハネの言葉を聞いてイエスについてきた弟子たちに気づいたイエスは、弟子たちに尋ねる、「何を求めているのか」と。弟子たちはとっさのことで、何を聞いてよいのかわからなかったのではないか。とりあえず、「どこに泊まっておられるのですか」と。「あなたはどなたですか」、「何をしておられるのですか」、そんな根本的な問いをしたかったのだろうが。それに対してイエスは、弟子たちのレベルに合わせて答えて、言われる、「来なさい。そうすればわかる」と。別の訳では、「来て見なさい」(Come and see)。この方がわかる気がする。理屈(頭)ではなく、まず、見て、触れて、感じて、体験してわかること。人間にとって、一番基本的なこと、イエスはそれを大事にされる。ヨハネの手紙が記しているように、神の子が人となるとは、人が見て、触れて、感じるものとなることによって、神を知るためであった。ヨハネの中によく現われる動詞「見る」は、ヘブライ語で「わかる」をも意味した。

そして、「彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た」。イエスが宿とされた場所だけでなく、そこに身を寄せるイエスが誰であるかを、ただちにとらえたのだろう。「そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。」時刻まで、忘れることのできない体験だったのだろう。その時から、彼らの人生は変わる。名前さえ記されていなかった弟子が、そこで身を明かされる、「イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった」。

 もう一つ、付け加えなければならないことは、アンデレは、兄弟シモンのところに行って、「わたしたちはメシアに出会った」と言います。自分の喜び、貴重な体験を独り占めにするのではなく、兄弟に、仲間に、近所の人に伝える、それは、人間にとってごく自然なことだが、アンデレは、後に弟子の頭となるペトロに告げる。ペトロのイエスとの出会いも、兄弟を通して与えられたもの。しかも、その時から、シモンという名が、ケファ、ペトロ、岩と変えられる。ペトロにとって、決定的な出会いが兄弟を通して与えられたということ。これは何を意味するのだろうか。

 わたしたちの信仰、そして、召命、それは、決して、一人だけで与えられたものではなく、必ずだれか他の人の介在を通して与えられ、また、他の人に伝えてゆくものなのだ。自分で終わらせてはならない。これほど、人間同士の絆が薄められ、断ち切られそうになっているときだからこそ、もう一度、わたしたちの存在、そして、信仰の原点が、人を通してのものであることを思い起こそう。そして、信仰といい、召命といい、この素晴らしい恵みを一人でも、多くの人に伝えて行くことができるように、信仰を喜びをもって生き、勇気をもって伝える恵みを共に祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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