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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間十九木曜日(8月13)

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わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。

マタイ18:33
集会祈願

???? 第一朗読 (エゼキエル12:1-12)

 1主の言葉がわたしに臨んだ。 2「人の子よ、あなたは反逆の家の中に住んでいる。彼らは見る目を持っていながら見ず、聞く耳を持っていながら聞かない。まことに彼らは反逆の家である。 3それゆえ、人の子よ、あなたは捕囚の荷物を造り、白昼彼らの目の前で捕らわれの身となって行きなさい。あなたのいる所から他の場所へ、彼らの目の前で捕らわれの身となって行きなさい。彼らは反逆の家であるが、あるいは、それに目を留めるかもしれない。 4あなたは、白昼彼らの目の前で、自分の荷物を、捕囚の荷物として持ち出しなさい。また、夕方彼らの目の前で捕囚の民が出て行くように、出て行きなさい。 5彼らの目の前で、壁に穴をうがち、そこから荷物を運び出しなさい。 6彼らの目の前で、荷物を肩に担ぎ、暗闇の中で運び出しなさい。顔を覆ってこの土地を見ないようにしなさい。わたしはあなたを、イスラエルの家に対するしるしとする。」 7わたしは命じられたとおりに行った。わたしは、白昼彼らの目の前で、自分の荷物を捕囚の荷物として運び出し、夕方、手で壁に穴をうがち、暗闇の中で肩に担いで運び出した。

 8朝になって、主の言葉がわたしに臨んだ。 9「人の子よ、反逆の家、イスラエルの家は、あなたに向かって、『何をしているのか』と尋ねなかったか。 10あなたは、彼らに言わねばならない。主なる神はこう言われる。この託宣は、エルサレムの首長と、そこにいるイスラエルの家すべてにかかわる。 11あなたは言わねばならない。『わたしは、あなたたちのためのしるしである。わたしがやって見せたようなことが、彼らに起こる。彼らは捕囚として、捕囚の地へ行く。 12彼らの中の首長も、暗闇の中で荷物を肩に担ぎ、壁に運び出すための穴をうがって出て行く。彼は目でこの土地を見ないように顔を覆う。』

???? 答唱詩編 詩編78 典59②a②b

アレルヤ唱 典270 ㉓c

???? 福音朗読 (マタイ18:21~19:1)

マタイによる福音

 21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。 28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。 29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。 31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。 35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
 1イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。

奉納祈願

拝領祈願

???? 分かち合い

 共同体(教会)についての教えを集めた18章の結びの部分。「ゆるし」ということ、それも「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」というイエスの教え。なぜ、そこまで赦しを強調なさるのか。ただ、神の赦しの大きさを教え、弟子もそれに倣うようにとの教えだろうか。

 よく読むと、このたとえには、二つの面があげられている。一つは、王から莫大な借金(1万タラントン)を帳消しにしてもらった家来、同時に、自分にもっと少ない借金(百デナリオ)をした仲間を赦そうとしない人間、その二つの態度が一人の人間の中に同居している。しかし、本人はそれに気づかない。

 イエスのたとえ話には、よく二人の人物が登場する。「放蕩息子のたとえ」の兄と弟、税吏とファリサイ派の人の話、罪の女とファリサイ派の男シモン。自分が大きな罪を赦されていながら、そのことに気づかずに他人を上からの目線で眺め、断罪する人間の二面性。最も赦しを必要としているにも拘わらず、他人を裁いて、自分の罪の赦しを求めようとしない人間。そんな人間の罪深さを、イエスは何とかして悟らせようと、そして、そのような罪さえも赦そうとされる神の限りない愛、赦しの愛を、教えようとされたのではないか。しかも、ただ、口で教えるだけでなく、まさに、そのような神の愛を、ご自分のすべてをお捧げになる、あの苦しみと十字架上の死を通して、あますところなく赦すことによってお示しになったのではないか。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1.  今日の福音はゆるしがテーマです。主の祈りの中の「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」という願いの解説のようなたとえ話です。たとえ話の伝えたいことははっきりしています。わたしたちがゆるし合うべきなのはそもそも神が計り知れない大きなゆるしをわたしたちに与えてくださっているからであり、その神のゆるしに気づいたら、人間同士はゆるしあうのが当然だ、ということです。主の祈りの、あの部分を唱えるときにいつも思い浮かべたいたとえ話です。

     本当に大きな神の愛が先にわたしたち注がれています。わたしたちはそう信じています。そしてだからこそ悲惨な出来事にあうとき、どう受け止めたらよいか、本当に戸惑います。大きな自然災害や事故、またコロナの感染、さらに悲惨なテロにあったとき「なぜ?」とわたしたちは問います。しかし、答はありません。キリスト教は理不尽な出来事を合理的に説明することはできません。

     ただ、わたしたちが知っているのは、主イエスご自身がいわれのない罪を着せられ、不当な苦しみを受け、それに耐え、まったく見捨てられて死んでいったあの十字架の姿です。この十字架の姿を見つめながら、いくら自然災害や事故、また色々な理由で苦しんでいることがあっても、神のいつくしみ、神の赦しを見ることができると思います。どうか、聖母マリアの取次によって、神の赦しを感じながら、同時に人々を赦すことができる恵みを願いましょう。

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