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父の御心は、子を見て信じる

ヨハネ6:40

死者の日

集会祈願

恵み豊かな神よ、復活された御子キリストに従うわたしたちの信仰を強め、死者の復活を待つわたしたちの希望を不動のものとしてください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (知恵3.1-6、9)

1神に従う人の魂は神の手で守られ、
もはやいかなる責め苦も受けることはない。
2愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、
この世からの旅立ちは災い、
3自分たちからの離別は破滅に見えた。
ところが彼らは平和のうちにいる。
4人間の目には懲らしめを受けたように見えても、
不滅への大いなる希望が彼らにはある。
5わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。
神が彼らを試し、
御自分にふさわしい者と判断されたからである。
6るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、
焼き尽くすいけにえの献げ物として
受け入れられた。
9主に依り頼む人は真理を悟り、
信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。
主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、
主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。

(又はローマ8.31b-35,37-39)
31〔皆さん、〕もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 32わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 33だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。 34だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 35だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
37しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

???? 答唱詩編 詩編23 典123 ①②④

答 主はわれらの牧者
  わたしは乏しいことがない。

神はわたしを緑のまきばに伏させ、
いこいの水辺に伴われる。
神はわたしを生き返らせ、
いつくしみによって
正しい道にみちびかれる。 【答】

たとえ死の陰の谷を歩んでも、
わたしはわざわいを恐れない。
あなたがわたしとともにおられ、
そのむちちつえはわたしを守る。 【答】

神のめぐみといつくしみに
生涯伴われ、
わたしはとこしえに
神の家に生きる。【答】

アレルヤ唱 典275⑤

アレルヤ、アレルヤ。わたしの父の意志は、子を見て信じる者が永遠のいのちを保ち、終わりの日に復活することである。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ヨハネ6.37-40)

ヨハネによる福音

 37〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 38わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。 39わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 40わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

奉納祈願

いつくしみ深い父よ、ここにささげる供えものを受け入れてください。亡くなった人々が御子の復活のいのちにあずかり、わたしたちも、この秘跡によってキリストに結ばれますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いつくしみ深い父よ、御子キリストの過越の神秘にあずかり、世を去った人のために祈ります。亡くなったすべての人が、光と平和の国に導かれますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 昨日は諸聖人の祭日を祝ったが、教会は11世紀以来、その翌日11月2日を死者の日として守ってきた。
 生前かかわりの深かった方に対して追悼の祈りを捧げるにしても、すべての死せる魂のために祈るにしても、死者のために祈るという習慣はとても深い意味をもつ。
 一つには、人間が避けることのできない死という現実の厳しさにあらためて思いを寄せる機会であること。長い闘病生活の後に最期を迎える場合、多少、解放という側面もあるが、突然、何の理由もなしに襲う死に、悲しみや当惑、さらには、絶望や恨みを感じない人はいない。
 他方で、死という現実を前にしてはじめて、亡くなられた方の生の価値―その苦労・悩み・豊かさ・深さ等―を静かに、ゆっくり味わうことができるのも事実。
 わたしたちと同じように死を経験された主イエスについても、同じことが言える。その無残な十字架の死は、あれほど親しく接していた弟子たちをも失意のどん底に落とした。しかし、弟子たちはその死後、そして、復活と言う体験を通して、イエスの生、そして死がもつ真の意味を少しずつ、理解するようになった。
 今日、死者のために祈るとき、わたしたちも、また、死に向かう存在であることを自覚するとともに、その限られた人生の中に与えられる、はかりしれない恵みに思いを致し、先立たれた方々とともに、この恵みを日々、大切に生きる決意をあらたにしよう。

年間三十一月曜日(11月2)
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