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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

待降節第二水曜日(12月9)

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わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしに学びなさい

マタイ11:29
集会祈願

???? 第一朗読 (イザヤ40.25-31)

25お前たちはわたしを誰に似せ誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。26目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方それぞれの名を呼ばれる方の力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。27ヤコブよ、なぜ言うのかイスラエルよ、なぜ断言するのかわたしの道は主に隠されている、とわたしの裁きは神に忘れられた、と。28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなくその英知は究めがたい。29疲れた者に力を与え勢いを失っている者に大きな力を与えられる。30若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが31主に望みをおく人は新たな力を得鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

???? 答唱詩編 詩編103 典93 ①③

アレルヤ唱 典256 ⑭

???? 福音朗読 (マタイ11.28-30)

 28〔そのとき、イエスは言われた。〕疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 この社会の中で、多くの人々はいつも忙しくて仕事ばかりしています。休みがあっても、また別の仕事をやらなければなりませんという人もいます。疲れても逃げるところはありません。この社会をずっと見てみれば、疲れている人が多いような気がします。

 ちょうど今日の福音書の中で、主イエスは私たちに「疲れたもの、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と招いています。ここでは、主イエスのもとに来るならば、すべての重荷や大変な仕事や困難などが消えてしまうというわけではありません。むしろ、主イエスのもとに来て、柔和で謙遜な主イエスに学び、主イエスの心のようになるようにということです。主イエスの心とは愛を持って、いつも愛してくださる神様に信頼し、すべて神様に委ねる心です。

 ところで、私たちは病気の時、特に心の病がある時に、精神科を受診して、精神科のお医者さんから「少し休みましょう」とか「ちょっと休んだほうがいいですよ」などと指導されたでしょう。「休む」とは「体を休めること」が大切ですが、それだけではなく、心をも休めなければなりません。体と心は深くつながっていますので、体が疲れ切っていれば、心だって疲れてしまうからです。さらに、体が休んでも、心が安静にされないとすれば、疲れはそのまま残っています。だからこそ、体よりもむしろ大切なのは「心を休めること」で、これが出来ていなければいくら体を休めても効果は不十分なものになります。精神科における「休む」というのは、主に「心を休めるような生活をしましょう」という意味になります。それで、「休ませてあげよう」と主イエスがおしゃったのは、安らぎのこころをあげようという意味ではないかと思います。

 だから、生活のバランスをとるために、こころを安静にし、体にも精神にも安らぎをする必要があると思います。一日、一週間、一か月、一年間、それぞれ、少しでも静かな場所で主イエスと共に過ごしたら人生は何か変わると思います。

 最後に真の安らぎを得る方法は恐らくただ一つしかありません。それは、主イエスのもとに来て、主イエスのもとに柔和で、謙遜な愛の心を倣うことです。そして主イエスの安らぎと慰めを受けたなら、今度は私たちが主に倣って柔和で謙遜な姿勢で、兄弟姉妹に安らぎと慰めを与えなければなりません。どうか、今日の御言葉が私たちの間に実現されるようにお互いに神様に願い求めましょう。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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