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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

十二月二十四日(降誕前日)

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我らの神の憐れみの心による

ルカ1:78
集会祈願

???? 第一朗読 (サムエル下7.1-5、8b-12、14a、16)

1王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。 2王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」 3ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」 4しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。5「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
8わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。 9あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。 10わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。 11わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。 12あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
 14わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。  16あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」

???? 答唱詩編 詩編89 典38 ①④

アレルヤ唱 典257 (12月24日)

???? 福音朗読 (ルカ1.67-79)

ルカによる福音
 67〔そのとき、ヨハネの〕父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。68「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、69我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。70昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。71それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。72主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。73これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、74敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、75生涯、主の御前に清く正しく。76幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、77主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。78これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、79暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 新生児を見たり抱いたりして感情があふれ出るという経験がありますか?赤ちゃんはとても小さくて、無力で、無垢です。私たちの心は、彼らへの愛と慈しみでいっぱいになってしまいます。

 この熱烈な腹の底から湧き上がる感情こそ、ザカリアが我らの神の「憐れみの心」(ルカ1:78)を賛美したことを語る時に聖ル力が使ったギリシア語の単語の意味です。その単語、「スプランクナ」は、文字通りには内臓を示すのですが、何か深く感じたもの、何か「腹」で感じたものという意味を伝えるために、聖書のいろいろな箇所で使われています。たとえば、イエスのたとえ話の中で、放蕩息子が帰って来るのを見っけた父親がどのように感じたかを表すのに、ルカはこの単語の変化形を使っています。父親は「憐れに思い」(ルカ15:20)、と。

 クリスマス・イブには、私たちは大抵、幼子キリス卜と受肉の神秘に焦点を合わせます。世の救い主がマリアの腕の中ですやすやと眠っている様子を考えると、どんな新生児をも見たり抱いたりした時にあふれてくる感情と同じものを感じることができます。けれども今日は、ザカリアの祈りについても考えてみましょう。これは父である神が、私たち一人一人についてどのように感じておられるかを表しています。神は、優しい憐れみと深い慈しみをもって神の御子を地上に送ってくださいました。神はこれがイエスにとって何を意味するかを知っておられました。馬小屋で産まれ、大勢の宗教指導者たちに激しく妨害され、十字架上で苦しみぬいて死ぬということです。しかし、私たちを救って「暗闇と死の陰に座している者たちを 照らし」(ルカ1:79)てくれるのはイエスだけであることも、神は知っておられたのです。

 今晩か明日のミサで、うまやに置かれた幼子イエスを見るとき、御父がどんなにあなたを愛しておられるかを思い出してください。神の愛は腹の底からの愛であり、無限であり、あなたを贖うためならどんなこともいといません。これは、私たちが日々記念する愛ですが、クリスマスは特別です。今日は私たち皆で、この世が知り得る一番偉大な贈り物、神の御子、私たちの主、イエス・キリストを、天の父に感謝しましよう。

 「イエスよ、あなたの憐れみを感謝します。私はあなたがこの世の光だと信じます!」

(『毎日の黙想』”The Word Among Us”、聖母の騎士社、12月24日)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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