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教皇の意向:修道士・修道女と神学生の養成 (5月)

年間第三十二金曜日(11/17)

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神を知らない人々は皆、生来むなしい

知恵書13:1

聖エリザベト -ハンガリー- 修道女(記)

集会祈願

🌸 第一朗読 (知13.1-9)

1神を知らない人々は皆、生来むなしい。
彼らは目に見えるよいものを通して、
存在そのものである方を知ることができず、
作品を前にしても作者を知るに至らなかった。
2かえって火や風や素早く動く空気、
星空や激しく流れる水、
天において光り輝くものなどを、
宇宙の支配者、神々と見なした。
3その美しさに魅せられて
それらを神々と認めたなら、
それらを支配する主が
どれほど優れているかを知るべきだった。
美の創始者がそれらを造られたからである。
4もし宇宙の力と働きに心を打たれたなら、
天地を造られた方がどれほど力強い方であるか、
それらを通して知るべきだったのだ。
5造られたものの偉大さと美しさから推し量り、
それらを造った方を認めるはずなのだから。
6とはいえ、この人々の責めは軽い。
神を探し求めて見いだそうと望みながらも、
彼らは迷っているのだ。
7造られた世界にかかわりつつ探求を続けるとき、
目に映るものがあまりにも美しいので、
外観に心を奪われてしまうのである。
8だからといって彼らも弁解できるわけではない。
9宇宙の働きを知り、
それを見極めるほどの力があるなら、
なぜそれらを支配する主を
もっと早く見いだせなかったのか。

🌸 答唱詩編 詩編19 典147 ①②

アレルヤ唱 典274 ⑥

🌸 福音朗読 (ルカ17.26-37)

ルカによる福音

 26〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。 27ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。 28ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、 29ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。 30人の子が現れる日にも、同じことが起こる。 31その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。 32ロトの妻のことを思い出しなさい。 33自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。 34言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。 35二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」 36† 37そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていた」(ルカ17:28)。

 ローマが410年にゲルマン民族によって略奪されたとき、ローマ市民は茫然としました。800年もの間征服されることのなかった「永遠の都」が、いったいどうして倒されたのかと彼らは驚き自問しました。その崩壊をキリスト教の台頭のせいにした人々に対して、聖アウグスティヌスは有名な書物『神の国』を著したのでした。

 アウグスティヌスは目に見えないニつの「国」が地上に同時に存在することを描きました。両国の住 民は共に人生を歩み、同じ出来事(ローマの崩壊のような)を互いに一緒に経験します。しかし、「神の国」では、主が現存し、人々はイエスを主として崇めます。「地の国」では、人々はあまりにもこの世の物事で頭がいっぱいで、彼らのただ中に「神の国」が現存することにも気づきませんし、時にはそれと対立します。

 今日の福音にも同様な状況が見られます。人々が同じように「食べたり飲んだり、買ったり売ったり」していますが、イエスはノアとその同時代の人々を、口卜とソドムの住民を、そして臼をひいている二人の女を区別されます(ルカ17:26.28.35)どの一対にも、主への信仰を持つ「神の国」の住民がいます。また、この世の悩みや楽しみにあまりにも心を奪われていて神の国が来ているのに気づかない人もいます。最終的には、「地の国」とその住民は姿を消し、「神の国」とその住民が永遠に生きます。

 だからと言って、働いたり料理したり財産を所有したりする日常的な活動にイエスが反対されているのではありません。これらのことは普通、善いことであり、必要なことです。でも、イエスはこのような「地の国」の事柄に深く浸り過ぎないようにと私たちにはっきりと警告しておられます。

 ですから、今日、私たちのただ中にある神の国に対して、霊の目と耳を開いているよう努めましょう。地上の所有物を、握り締めた拳ではなく、開いた物惜しみしない手で持ちましょう。これらのものは消え去り、錆び付き、朽ちる運命ですが、私たちは永遠に生きるように前もって定められているのです。さあ、イエスにしつかりしがみついていましょう、命の源であり、私たちの永遠の故郷である神の国の支配者であるイエスに。

 「主よ、私の目を開き、私に到来するあなたの御国が見えるようにしてください」。

『毎日の黙想』聖母の騎士社、2021年11月号。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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