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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

年間第十七木曜日(8/3)

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天の国は次のようにたとえられる

マタイ13:47
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト記40:16-21、34-38)

出エジプト記

 16モーセは主が命じられたとおりにすべてを行った。
 17第二年の第一の月、その月の一日に、幕屋が建てられた。 18モーセは、まず、台座を置き、壁板を立て、横木を渡し、柱を立てて、幕屋を組み立てた。 19次に、幕屋の上に天幕を広げ、更にその上に天幕の覆いを掛けた。主がモーセに命じられたとおりであった。
 20次に、彼は掟の板を取って箱に入れ、箱に棒を差し入れ、箱の上に贖いの座を置き、 21その箱を幕屋の奥に運び入れた。そして、至聖所の垂れ幕を掛け、掟の箱を隔てた。主がモーセに命じられたとおりであった。
 34雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。 35モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。 36雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。 37雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。 38旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。

🌸 答唱詩編 詩編146 典19①②

アレルヤ唱 典270(51)

🌸 福音朗読 (マタイ13:47-53)

マタイによる福音

 〔その時、イエスは人々に言われた。〕「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。 48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。 49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、 50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

 51「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。 52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

 53イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去〔った。〕

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 天の国についての最後のたとえは漁網のたとえ。湖に投げ降ろす網だから、弟子たちが使ったいわゆる「投網」とは違う「曳網」(地引網のような)だろうか。引き上げられた網の中から、漁師は、善いものと悪いものを上手に選別する。これは、世の終わりの裁きのたとえと言われる。これだけ読むと、いかにも、人々を脅し、恐怖心を起こさせる印象をもってしまう。マタイが繰り返し使う終末についての言い回しがここでも現れる。
 たしかに人間は、神の前で自分の行ったこと、生きてきたことについて神の前で責任を問われる。あたかも、取れた魚がより分けられるように、選別される。しかし、それは、人間の意志と無関係になされる選別ではなく、むしろ、人間が自分に与えられた自由によって、選び・決定したことによるのである。神が自由を無視して、人間に機械的に行うことではない。
 マタイがこうした、一見厳しい言葉に満ちたたとえを記すのは、神を知らない、福音を聞いたことのない人々に対してではなく、むしろ、神のことばを聞いた人々、弟子となった人々、教会の一員となった人々に対してである。神は、人間が生きる限り、回心の機会を与え、ゆるしの恵みを注ぐ、慈しみに満ちた方である。したがって、イエスが用いられた、こうしたたとえも、単なる、恐るべき裁きの予告としてではなく、むしろ、神に向き直り、神の招きにふさわしい者となるようにとの戒めとして受け止めるべきではないだろうか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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