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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

復活節第四水曜日(5/11)

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世を救うために来たからである

ヨハネ12:47
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録12.24~13.5a)

 24〔そのころ、〕神の言葉はますます栄え、広がって行った。 25バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。
 1アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。 2彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」 3そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
 4聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、 5サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。

🌸 答唱詩編 詩編67 典55①②

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ12.44-50)

ヨハネによる福音
 44〔そのちき、〕イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。 45わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。 46わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。 47わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。 48わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。 49なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。 50父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 山上の説教の中に有名な言葉がある。「あなたがたは地の塩である。世の光である」(マタイ5.13,14)。イエスの弟子たちに言われた言葉。苦しみや困難の中に生きる人々に慰めを、若い将来に向かう人々に希望を与える言葉。
 ヨハネは、その根底にあるもう一つの考えを打ち出す。それは、イエス自身が「世の光」であるということ。「わたしは世の光である。わたしに従う者は、暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8.12)と言われる。そして、今日の福音にあったように、「だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た」と。ヨハネ福音書の中心テーマは、イエスが光であり、命である、ということだと言われる。
 しかし、小さな光でも貴重な時代だった昔と違って、わたしたちは、今はあふれるほどの光のもとに生きている。よほど、災害で大規模な停電でもない限り、光の尊さ、ありがたさを感じることがない。人間が生み出した光に慣らされ、満足し、それが光のすべてと思い、それと異なる光のことなど、考えることもなく生きている。
 イエスが、そして、旧約聖書が度々言及する「光」は、人間が生み出す光でなく、光そのものである神が放つ光のこと。
その光に気づき、それを受け入れるために、自らの闇を認めなければならない。「自らの闇」と言えば、自分の視力や、知的能力の貧しさではなく、神の世界に対する闇、盲目のことである。盲人の目を開かれたイエスの業は、まさに、それを象徴している。「光」を受け入れるために、ソクラテスが言った「無知の知」と重なる、自分の闇を知る恵みを願おう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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