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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

年間第三十四水曜日(11/29)

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忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい

ルカ21:19
集会祈願

🌸 第一朗読 (ダニエル5.1-6、13-14、16-17、23-28)

1ベルシャツァル王は千人の貴族を招いて大宴会を開き、みんなで酒を飲んでいた。 2宴も進んだころ、ベルシャツァルは、その父ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から奪って来た金銀の祭具を持って来るように命じた。王や貴族、後宮の女たちがそれで酒を飲もうというのである。 3そこで、エルサレムの神殿から奪って来た金銀の祭具が運び込まれ、王や貴族、後宮の女たちがそれで酒を飲み始めた。 4こうして酒を飲みながら、彼らは金や銀、青銅、鉄、木や石などで造った神々をほめたたえた。5その時、人の手の指が現れて、ともし火に照らされている王宮の白い壁に文字を書き始めた。王は書き進むその手先を見た。 6王は恐怖にかられて顔色が変わり、腰が抜け、膝が震えた。
13そこで、ダニエルが王の前に召し出された。王は彼に言った。「父王がユダから捕らえ帰ったユダヤ人の捕囚の一人、ダニエルというのはお前か。 14聞くところによると、お前は神々の霊を宿していて、すばらしい才能と特別な知恵を持っているそうだ。
16お前はいろいろと解釈をしたり難問を解いたりする力を持つと聞いた。もしこの文字を読み、その意味を説明してくれたなら、お前に紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうち第三の位を与えよう。」
17ダニエルは王に答えた。「贈り物など不要でございます。報酬はだれか他の者にお与えください。しかし、王様のためにその文字を読み、解釈をいたしましょう。
23天の主に逆らって、その神殿の祭具を持ち出させ、あなた御自身も、貴族も、後宮の女たちも皆、それで飲みながら、金や銀、青銅、鉄、木や石で造った神々、見ることも聞くこともできず、何も知らないその神々を、ほめたたえておられます。だが、あなたの命と行動の一切を手中に握っておられる神を畏れ敬おうとはなさらない。 24そのために神は、あの手を遣わして文字を書かせたのです。 25さて、書かれた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、そして、パルシン。 26意味はこうです。メネは数えるということで、すなわち、神はあなたの治世を数えて、それを終わらせられたのです。 27テケルは量を計ることで、すなわち、あなたは秤にかけられ、不足と見られました。 28パルシンは分けるということで、すなわち、あなたの王国は二分されて、メディアとペルシアに与えられるのです。」

🌸 答唱詩編 詩編148 典20 ①②

アレルヤ唱 典274 ⑦

🌸 福音朗読 (ルカ21.12-19)

ルカによる福音

 12〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 13それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 14だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 迫害はキリスト教の歴史の中で、繰り返し起きてきた。初期のキリスト者がユダヤ人から受けた迫害。ローマ帝国の中で、何度も起きた厳しい迫害。近世ヨーロッパでは、キリスト教同士で行った迫害。日本やアジアで現地の人々から受けた迫害、新大陸で宣教師たちが受けた迫害。20世紀になってからも様々な形でキリスト教に浴びせられた迫害・弾圧。キリスト教の発展と迫害は切り離すことができないかのよう。

 今日のルカの箇所は、終末の出来事の一つとして迫害が考えられているが、マタイ・マルコでは、イエスに従う弟子の生き方には、必ずついてくるものとして捉えられている。福音の終わりではなく、早い段階で、弟子への戒めの言葉の中に含まれているのはそのためだろう。

 一つ注目したいのは、迫害にあったときに、どう答えるかという点。イエスは言う、「前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも対抗も反論もできないような言葉と知恵を授ける」と。マタイ・マルコでは、「心配するな。言うべきことは教えられる。語るのは、聖霊父の霊である」と。つまり、迫害の苦しみの中で、キリストを信じる者の努力以上に、神が大いなるみわざを行われる、神自らが、ご自分を証しなさるということである。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. まさに今日の福音が現実になっている。
    並行箇所としてマタイ10章16節以下と24章3節以下がある。

    前者では、1つの町で迫害されたときは他の町ヘ逃げて行きなさい、とある。悩みどころだ。

    後者では、偽預言者も大勢現れ多くの人を惑わす。不法がはびこるので多くの人の愛が冷える、とある。
    今日も知人たちを頼りに、成年後見人弁護士による母拉致監禁を解決してくれる弁護士を探したが、弁護士は弁護士界(会)のために働くのが現実と知る。旧友もすっかり冷めている。

    忍耐とは不法や愛の不在に耐えること、
    神の不在に耐えることか。

    イエスは耐えた。
    ぼくは神の不在になんて耐えられない。
    祈るしかない。

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