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教皇の意向:病者への司牧的ケア (7月)

年間第一金曜日(1/12)

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このようなことは、今まで見たことがない

マルコ2:12
集会祈願

🌸 第一朗読 (サムエル上8.4-7、10-22a)

 4イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、 5彼に申し入れた。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」 6裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。 7主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。
 10サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。 11彼はこう告げた。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、 12千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。
13また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。
14また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。
15また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。
16あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。
17また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。
こうして、あなたたちは王の奴隷となる。 18その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」
19民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。 20我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」
21サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れた。 22主はサムエルに言われた。「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい。」

🌸 答唱詩編 詩編89 典37 ④⑤

アレルヤ唱 典269 17B

🌸 福音朗読 (マルコ2.1-12)

マルコによる福音

 1数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、 2大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、 3四人の男が中風の人を運んで来た。 4しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 5イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 6ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。 7「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 8イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。 9中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 10人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。 11「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」 12その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 数日後、イエスは砂漠の避難所からカファルナウムに戻られた。すぐに、群衆がイエスの泊まっている家の周りに集まってきた。出入りする場所がないほどの混雑である。『家』は特定されておらず、重要なものでもない。初期のキリスト教共同体では、聖体を祝うために一つの家に集まった。イエスは彼らの中におられた。イエスと一緒に家の中にいる人もいれば、まだ外にいる人もいる。

 そこへ、4人の男たちが中風の友人を抱えてやってきた。彼らはイエスのところに行きたくてたまらなかった。中に入る道がないのを見て、彼らは外の階段を通って平らな屋根に上がり、瓦を何枚か取り除いて、イエスの足元にその人を降ろした。

 イエスは彼らの信仰、信頼、確信に心を打たれた。それは癒しのための不可欠な条件の一つである。イエスは中風の男に言われた:

 あなたの罪は赦された。

 これは、中風の人にとって驚くべき言葉だったに違いない。彼は癒しを求めて来たのであって、赦しを求めて来たのではなかったのだ。その場に居合わせた何人かの律法学者たちは、驚いただけでなく、深いショックを受け、自分たちを軽蔑するように考えた:

 なぜこの人はこのようなことを言うのか。神を冒涜している!神以外に誰が罪を赦すことができようか。

 彼らは完全に正しいのだが、明白な結論を導き出すことに目をつぶっている。彼らは見たくないから見ないのであり、さらに悪いことに、見えると思っているからだ。今日でも、そのようなクリスチャンに出会うことがある。彼らは、自分たちだけが『真理』を持っていると確信している。

イエスは、彼らの考えを知った上で、彼らに挑戦する:

 なぜ、心の中でそのような疑問を抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが簡単だろうか?

 そして、彼はその人に言う:

 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」

 もちろん、罪が赦されたと告げる方が簡単なのは確かだが、イエスが中風の人を即座に癒すことができたということは、彼の罪が赦されたということなのだろうか?

 私たちは、当時のユダヤ人が罪と病気を密接に結びつけていたことに気づく必要がある。多くの種類の病気は、個人的な罪、あるいは両親の罪に対する罰とみなされていた(ヨハネによる福音書9章にある生まれつき目の見えない人の話も参照のこと)この話に登場する男は、彼の人生における何らかの罪のために麻痺していると理解されていた。もしイエスがその病気をはっきりと取り除くことができたなら、病気の原因も取り除かれたことになる。そうすることで、イエスは男の罪を赦すことで、神を冒涜していないことを明らかにした。イエスは、自分がそうであると主張したのである。

 現代において、私たちは身体的な病気と私たちの行動や人との関わり方との間に関連性があることに気づいている。私たちの考え方と態度、感情、行動の間には相互の影響があることを知っている。いくつかの病気は心身症であり、ストレスや、他人との関係、仕事、環境における不均衡の結果であることもある。神聖さ、全体性、健康、癒しという言葉は、すべて共通の語源を持っている。すべての部分が完全に調和している人、それが真に聖なる人である。

 その全体性のために、私たちは祈り、働く必要がある。中風の人は、他の意味で不全麻痺状態にあり、統合された人が持つような自由な振る舞いができないすべての人を象徴している。そしてその統合と完全性は、他者との関係、自分自身との関係、環境との関係、そしてもちろん神との関係に関わる。

LivingSpaceより

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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