年間第十五木曜日(7/17)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい
🌸 第一朗読 (出エジプト3.13-20)
13〔その日、柴の間から語りかける神の声を聞いた〕モーセは神に尋ねた。
「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
14神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 15神は、更に続けてモーセに命じられた。
「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。
これこそ、とこしえにわたしの名
これこそ、世々にわたしの呼び名。
16さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。 17あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。 18彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』 19しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。 20わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。
🌸 答唱詩編 詩編 典94 ①②
答:心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。
神に感謝してその名をたたえよ。
諸国の民に神のわざを告げ知らせよ。
賛美の歌を神に歌い、
そのすべての不思議なわざを語れ。【答】
神をさがし求める者よ、心から喜べ。
神にその力を求め、いつもその顔を慕い求めよ。
神が行われた不思議なわざを思い起こせ、
救いのしるしとさばきのことばを。【答】
アレルヤ唱 典276(諸聖人)
アレルヤ、アレルヤ。労苦して重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを回復させよう。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ11.28-30)
マタイによる福音
28〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

🌸 分かち合い
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
長年人生を歩んできたもので、疲れを知らない、という人はいるだろうか。皆、疲れ、気力を失う時がある。どこかで休む必要がある。しかし、実際は、休まない人、休めない人がいる。休んだら、自分の価値がなくなるという不安からだろうか。自転車のように、止まったら倒れると思っているからだろうか。
休みをどこで、どのように取るか。多くの人はどこか遠くに出かけて、疲れ切って帰って来る。多くの時間とお金をかけて休みを取ろうとして、結局、休みにならず、かえって、もっと大きな休みを必要とする状況に陥る。
かつて、安息日についての話で、講師のシスターはこう言った「安息日には、自分の中の子どもを解放してやりなさい、」と。普段しないこと、できないこと、思い切ってやってみること。散歩でもよい、音楽を聞くでもよい、映画をみるでもよい。庭仕事をするでもよい。病人訪問でもよい。
イエスは言われる、「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と。簡単なこと。しかし、つい忘れてしまう。どこか他所に安らぎを得ようとする。イエスが与える「軛」とは何か。主と共にいる時を大切にする。さらには、人と共にいる、ありのままの相手を愛する、受け入れるという軛ではないか。義務や仕事と考えず、主の招きと考えたらどうか。「負いやすく、軽い」ものだから。(S.T.)