わたしが来たのは律法や預言者を
廃止するためではなく、完成するためである
🌸 第一朗読 (ニコリント3.4-11)
使徒パウロのコリントの教会への手紙
4〔皆さん、〕わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。 5もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。 6神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
7ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、 8霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。 9人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。 10そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。 11なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。
🌸 答唱詩編 詩編119 典56 ④⑤
アレルヤ唱 典269 ㉛
🌸 福音朗読 (マタイ5.17-19)
マタイによる福音
17〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。

🌸 分かち合い
イエスが登場した2000年前のイスラエルの庶民は、日々の生活の糧を得るために苦労するだけでなく、神に選ばれた民としての長い歴史の中で伝えられた教え、習慣を守るだけでなく、彼らに固有な「律法」を守るという、いわば、コロナ禍のような、厳しい務めの中に生きていた。それを守らず、掟から外れた生き方をすれば、「罪人」のレッテルを貼られ、村八分にされた。当時の宗教指導者、律法学者と言われる人々は、聖書の学びを通して、律法を解釈し、もっぱら、それを人々に守らせる任務を負わされていた。
律法自体は、決して悪いものではなく、神の大いなる御業を経験したものとして、感謝の心をもって神に対してなすべき務めを記したものである。しかし、あまりにも、細部に及ぶ規定に縛られ、自由を奪われた人間は、それからの解放を求めていたに違いない。イエスは、まさに、そのような人々に向かって語りかけた。「わたしが来たのは律法と預言者を廃止するためではなく、完成するためである」と。律法は、本来、人を縛るためではなく、むしろ、真の幸せ、真の自由を得させるために、神が定めたものだが、いつの間にか、人間は、それをもって人を縛り、苦しめ、自由を奪うものにしてしまった。だから、イエスは、律法が本来目指すものに、人々の目を向けさせようと、律法の中で最も大事なものは何か、と問われたとき、即座に、すべてのものの創造主であり、よきものの与え主である神を愛すること、また、同じ神によって造られ、愛された兄弟を愛することだ、と断言された。そこに、わたしたち人間が作るすべての決まり、掟の原点があることを悟る恵みを願おう。(S.T.)