まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
🌸 第一朗読 (一テサロニケ2:1ー8)
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙
兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。2無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。3わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。4わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。5あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。6また、あなたがたからもほかの人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。7わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、8わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。
🌸 答唱詩編 詩編139 典53 ①②
答:神のはからいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる。
神よ、あなたはわたしをこころにかけ、
わたしのすべてを知っておられる。
わたしがすわるのも、立つのも知り、
遠くからわたしの思いを見通される。【答】
歩むときも、休むときも見守り、
わたしの行いをすべて知っておられる。
くちびるにことばがのぼる前に、
神よ、あなたはすべてを知っておられる。【答】
アレルヤ唱 典270 29C
アレルヤ、アレルヤ。神のことばは生きていて力があり、心の思いと計画をわきまえる。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ23:23-26)
マタイによる福音
23〔そのとき、イエスは言われた。〕律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。 24ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。
25律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。 26ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。

🌸 分かち合い
イエスが活動されたときに、すでにユダヤ教指導者たちから様々な形で挑戦を受けられたことは確かですが、イエスの復活後に誕生した教会、特に、マタイの教会のように、ユダヤ人を中心として発展した教会とユダヤ人指導者との間で、激しい対立があったことも事実です。マタイは、そうした対立を背景に記していると思われます。
律法学者とファリサイ派に対して、イエスは「偽善者」というレッテルを貼って、彼らを批判します。今日の個所に限って言えば、彼らはあまりに小さなことにこだわって、肝心なこと、大事なことをおろそかにしている。たとえば、薄荷、いのんど、ういきょうなど、調味料にいたるまで、十分の一を収入の一部として捧げることを強調しながら、肝心な正義、慈悲、誠実(信仰)を無視していると。根本的なことを無視したり、おろそかにしていて、些細なことにこだわることは決して、わたしたちと無縁でありません。イエスは、別のところで、数ある律法の中で最も重要なものは何か、との問いに、神への愛と隣人への愛だと言われたことと重なります。
もう一つの問題点は、彼らが外面にとらわれて、内面をおろそかにしている点です。わたしたちも、つい人を見た眼で判断していないでしょうか。その人の心には全く関心を持たず、容姿、服装、言葉遣い、そうした面にとらわれて相手を判断し、行動していないでしょうか。「目に映ること」ではなく「心によって見る」(1サム16.7)神の目、イエスの眼差しに少しでも近づくことができるよう祈りましょう。(S.T.)