祈る花:Inoruhana
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年間第十九火曜日(8/12)

これらの小さな者が一人でも滅びることは、
あなたがたの天の父の御心ではない。
集会祈願

 いつくしみ深い神よ、聖クララは、主・キリストに従い、貧しいものとなりました。聖女の取り次ぎに支えられて、わたしたちも貧しさを愛し、あなたの国の喜びにあずかることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (申命記31・1-8)

申命記

 1モーセは全イスラエルの前に歩み出て、これらの言葉を告げた後、2こう言った。「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。3あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。4主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。5主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。6強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
 7モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。
 「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。8主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」

🌸 答唱詩編 詩編18 典125①②

: 神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう。

神はわたしに力を与え、
わたしの道を正しくされる。
あなたはわたしの歩く道を広くされ、
わたしの歩みはゆるがない。【答】

わたしを支える岩、
わたしを救われる神に栄光と賛美。
神よ、諸国の民の中であなたをたたえ、
わたしはあなたの名を喜びうたう。 【答】

アレルヤ唱 典272 ㊵

 アレルヤ、アレルヤ。わたしは心優しく、へりくだり者。わたしのくびきを受けて、わたしにならいなさい。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ18:1-5、10、12-14)

マタイによる福音

 1そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。 2そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、 3言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 4自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 5わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
 10「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。 12あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 13はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。 14そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

奉納祈願

 信じる者の光である神よ、聖クララの祝日にささげる供えものを受け入れてください。このとうとい秘跡によってわたしたちが、いつもあなたの愛に満たされて歩むことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

 父である神よ、主の御からだと御血によって強められたわたしたちが、聖クララの模範にならい、すべての地上の誘惑に打ち勝ち、まことの愛のいちにあなたに使えることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」。
 夏目漱石は、有名な「三四郎」という小説で、ここからヒントを得ただろうか、しきりに‟stray sheep”(迷子)という言葉を使っている。同じ内容を記すルカでは、主人が羊を一匹見失ったことになっているが、どちらにしても、多くの群れの中の一匹に向けられる主人の思いが強調されている。自分から迷い出たなら、自己責任で、放置してよさそうなものだが、神はそうされない。神の前に、「自己責任」という言葉は意味を持たない。神の前に、すべての人は、迷い、逡巡し、後悔し、悩む存在である。その人間に、自ら近づき、寄り添い、慰め、諫め、力づけるのが神である。
 山歩きをして、道に迷い、引き返すこともできずに、辛い思いをした人なら、よくわかることだが、人生はそのようなもの。自分の力ではどうにもならない状況の中でも、道を照らし、救い出してくれる頼もしい存在がいる。それを信じ、また、その信仰の喜びを分かち合うこと、これが待降節を過ごす心ではないだろうか。(S.T.)

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。