祈る花:Inoruhana
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年間第十八火曜日(8/5)

本当に、あなたは神の子です

🌸 第一朗読 (民数記12.1-13)

 1〔その日、〕ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。
 2彼らは更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」主はこれを聞かれた。 3モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。 4主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」彼ら三人はそこに出た。 5主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、「アロン、ミリアム」と呼ばれた。二人が進み出ると、 6主はこう言われた。
 「聞け、わたしの言葉を。
 あなたたちの間に預言者がいれば
 主なるわたしは幻によって自らを示し
 夢によって彼に語る。
 7わたしの僕モーセはそうではない。
 彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。
 8口から口へ、わたしは彼と語り合う
 あらわに、謎によらずに。
 主の姿を彼は仰ぎ見る。
 あなたたちは何故、畏れもせず
 わたしの僕モーセを非難するのか。」
 9主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、 10雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。 11アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、わたしたちが愚かにも犯した罪の罰をわたしたちに負わせないでください。 12どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来た死者のようにしないでください。」 13モーセは主に助けを求めて叫んだ。「神よ、どうか彼女をいやしてください。」

🌸 答唱詩編 詩編51 典7 ①②

:あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる。

神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、
新たにしてください。
わたしをあなたのもとから退けず、
聖なるいぶきをわたしから取り去らないでください。【答】

救いの喜びをわたしに返し、あなたのいぶきを送って、
喜び仕える心を支えてください。
わたしはあなたへの道を教えよう、
罪びとがあなたのもとに帰るように。【答】

アレルヤ唱 典277(聖バルトロマイ)

アレルヤ、アレルヤ。師よ、あなたは神の子、イスラエルの王。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ14:22-36)

マタイによる福音

 22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。 23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。 24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。 25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。 26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。 27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。 30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。 32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。 33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。
 34こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。 35土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、 36その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 パンを増やした出来事の後に、なぜか、湖の上での出来事が記される。弟子たちは、祈るために山に登られたイエスを残して、自分たちだけで、舟に乗ってこぎ出したが、夜中逆風にこぎ悩んでいた。すると、どこからともなく、イエスが近づいて来られる。弟子たちは恐ろしくなって、「幽霊だ」と叫び出す。
 恐怖に襲われると、人間は正しい判断ができなくなり、自分で作り上げたイメージに怯え、硬直化し、絶望の淵をさ迷い始める。復活された主イエスは、どこにいても、人々のもとを訪ねることがおできになるが、不安や恐怖に捉われた人は、主を認めることができない。それは、イエスに従った弟子に言えることだし、霊を注がれてスタートした教会全体についても言える。使徒たちが次第に舞台から去り、殉教者のリストが作られていった時、教会に集う人々の動揺は大きかったに違いない。キリシタン時代の、司祭のいない教会も、まさに、そうした恐怖の中にあったに違いない。
 病気や災害に見舞われた時の動転、コロナで身動きができなくなったときの不安、立ち上げたプロジェクトの進行に伴う障碍の連続、そんな状況の中におかれるわたしたちも、弟子たちと同じ経験をする。
 復活のイエスは、人々の期待とはまるで違う形で自らを現わされる。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。ペトロのような、大げさな反応を示さずとも、主に助けを叫びたくなることはままあろう。たとえ、主にたしなめられても、静かに主の臨在を認め、深い信頼をもって、繰り返し歩みだすことができるよう祈ろう。(S.T.)

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。