祈る花:Inoruhana
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年間第十三火曜日(7/1)

「主よ、助けてください。おぼれそうです」

福者ペトロ岐部司祭と187殉教者

🌸 第一朗読 (創世記19:15-29)

創世記 

 15夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。
 「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」
 16ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。 17彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。
 「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
 18ロトは言った。
 「主よ、できません。 19あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。 20御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこでわたしの命を救ってください。」
 21主は言われた。
 「よろしい。そのこともあなたの願いを聞き届け、あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう。 22急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから。」
 そこで、その町はツォアル(小さい)と名付けられた。
 23太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。 24主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、 25これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。 26ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。
 27アブラハムは、その朝早く起きて、さきに主と対面した場所へ行き、 28ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。
 29こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。

🌸 答唱詩編 17詩編 113典①③

:主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

神よ、わたしの正しい訴えと叫びに心を留め、
いつわりのない祈りに耳を傾けてください。
正しいさばきをわたしに現し、
分けへだてのない目を注いでください。【答】

神よ、あなたに叫ぶわたしに答え、
耳を傾けて、願いを聞いてください。
あなたのもとに逃れる者を力強く救い、
いつくしみのわざを現してください。【答】

アレルヤ唱 269典㊴

アレルヤ、アレルヤ。神はわたしの希望、わたしの望み。わたしはその言葉により頼む。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ8:23-27)

マタイによる福音

 〔そのとき、〕23イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 24そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。 25弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。 26イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 27人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 1603年から1639年まで、徳川幕府がしいた禁教令のもとで信仰のために命を捧げた188人の殉教者の記念日。中国地方(広島教区)にかかわるもの:広島で3人萩で2人熊谷元直は生涯毛利氏に仕えた武士(可部の高松城城主)。秀吉の九州征伐に加わった折、黒田孝高に出会い入信。徳川の世になり、厳しいキリシタン弾圧の中で、幕府の方針に逆らうことのできなかった毛利氏により萩にて斬首(1605)。2008年に長崎で列福。
  イエズス会関係では、3人の司祭は中浦ジュリアン(1633)、結城了雪(1636)、ペトロ岐部(1639)。そして、ブラザーのニコラオ福永ケイアン(1636)。ペトロ岐部は国東半島の出身。有馬のセミナリオに入るも、イエズス会入会を認められず、海外に赴き、マカオからインド、パキスタン、イラン、聖地経由でローマに至る。そこでようやく司祭叙階の許しを得、その数日後イエズス会に入会。禁教の事実を知りながらあえて帰国。潜伏司祭として各地を巡り、東北水沢で密告を受け江戸送りとなる。翻心を促す井上筑後守の誘いに乗らず、穴吊りの刑を受ける。「キベヘイトロは、コロビ申さず候。ツルシ殺され候」と言わしめた。

 イエスの活動の舞台は、北の辺境の地、ガリラヤ。湖を囲む、緑豊かな美しい土地。湖はかなり広いが、普段は鏡のように静か。しかし、それが一転して荒々しい外海のような状況を呈することがある。
 人間の生活もそのようなものかもしれない。普段は、平穏で、ものごとが自分の望むように展開するのが当然と思うときがあれば、突然、歯車が狂ったように、すべてがおかしくなってしまうこともある。
 弟子たちは、イエスに従って小舟に乗って出かける。突然、「激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。」
 弟子たちは、恐ろしくなって、眠っておられるイエスを揺り動かし、「主よ、助けてください。おぼれそうです。」
 イエスが一緒におられても、試練の時には、自分たちが見捨てられたような思いになる。イエスは、預言者と同じように、神の慰めの言葉を語る、「恐れるな」。そして、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と。復活されたイエスは、そのような方として、順境のときも逆境のときも、共におられるのではないか。
 マタイの中には、山上の説教のように、イエスの言葉をまとめて記した部分があれば、同時に、力強い業、いやしの業を記す部分もある。別々でなく一体として考えなければならない。イエスの言葉には、ただ慰め深い教えだけでなく、自然も人も動かす力があることをこころにしっかりと止めよう。

御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。