祈る花:Inoruhana
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年間第三十木曜日(10/30)

主の名によって来られる方に、祝福があるように

🌸 第一朗読 (ローマ8・31b-39)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 皆さん、31bもし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。32わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。33だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。34だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。35だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
36「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、
屠られる羊のように見られている」
と書いてあるとおりです。37しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

🌸 答唱詩編 詩編66 典45 ⑧⑨

神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。

神よ、あなたの国を豊かに恵み、
ヤコブの栄えを新たにしてください。
あなたは民のとがをゆるし、
すべての罪を覆われた。

神よ、あなたはわたしたちを救うかた。
わたしたちのいのちを新たにし、
あなたのうちにあって民が喜ぶために、
あなたのいつくしみを示してください。

アレルヤ唱 典271 ⑭

アレルヤ、アレルヤ。偉大な預言者がわたしたちのうちに現れ、神は民を訪れてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ルカ13:31-35)

ルカによる福音
 31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」 32イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。 33だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。 34エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 35見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」

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🌸 分かち合い

 ルカはイエスの活動を、「ガリラヤからエルサレムへの旅」という枠組みで捉えている。旧約聖書では、エルサレムは神が選ばれた町、聖なる都、神が自らの名を置かれたところとして、イスラエルの人々にとって特別な場所、民族の誇りであるが、イエスは、そのエルサレムで、最後を迎え、十字架の死を遂げられた。
 イエスの死後、紀元70年、イエスの弟子たちによって教会が誕生して間もない時期、エルサレムは、ローマ軍によって、その聳えたつ神殿と共に滅ぼされ、その破壊の傷跡は今日に至るまで残されている。
 イエスの十字架上の死とエルサレムの滅亡とは、イエスをメシアとして受け入れなかった神の民への罰ととらえられがちだが、はたしてそれでよいのだろうか。キリスト教の福音は、あの十字架上で亡くなったイエスが復活し、生きておられるというメッセージであり、その福音が、かつて、イエスを受け入れなかったエルサレムから発出されたというのが、ルカの主張である。たしかに、今日の福音にあるように、イエスはエルサレムが神の招きを再三受け入れなかったことを嘆かれた。しかし、同時に、ルカは神が回心を忍耐強く待ち望む方であることを強調する。エルサレムが神に見捨てられたのではなく、福音が全世界に告げられるための壮大な計画の一部であると考えるべきではないだろうか。
 自らファリサイ派の一員からキリストの使徒となったパウロは『ローマの教会への手紙』(9章~11章)の中で、神に選ばれた民、イスラエルが、再び神のもとに立ち帰る日が来ることを確信して記している。「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです」(ローマ11.25)と。とキリスト者にとって、エルサレムは決して過去の遺物ではなく、今なお進展する神の大きな救いの計画の中に位置づけられていることを思い起こそう。(S.T.)

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。