祈る花:Inoruhana
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年間第三十三土曜日(11/22)

すべての人は、神によって生きている

(聖チェチリアおとめ殉教者)

🌸 第一朗読 (一マカバイ6.1-13)

マカバイ記

 1アンティオコス王は、高地の国々を通過していたとき、豊富な金と銀で有名なエリマイスという町がペルシアにあることを耳にした。 2その町の神殿は、驚くほど富んでいて、金の兜、胸当て、武器などがあったが、それはマケドニア人の王、フィリポスの子アレキサンドロスが残していったものである。このアレキサンドロスはギリシア人を統治した最初の人物である。 3アンティオコスはその町の占領と略奪をもくろんで出陣したが、たくらみが事前に市民に漏れてしまったので、成功しなかった。 4人々が彼に戦いを挑もうと立ち上がったからである。彼は恐れをなし、心を残しつつも、途中からくびすを返しバビロンへ戻ろうとした。 5すると、ペルシアにいる彼のところに一人の男がやって来て、報告をもたらした。「ユダの地への派遣軍は敗走しました。 6リシアスは最強の軍隊を率いて進軍しましたが、撃退されてしまいました。ユダヤ軍は、撃破した部隊から奪い取った多数の武器、装備、戦利品で軍を強化し、 7王がエルサレムの祭壇にお建てになった『憎むべきもの』を引きずり下ろし、聖所を以前のように高い塀で囲み、王の町であったベトツルも同様に固めました。」
 8この言葉を聞いて、王は愕然として激しく震えだし、寝台に倒れ、心痛のあまり病気になってしまった。事が思うようにならなかったからである。 9激痛が繰り返し襲ったので、彼は何日もそこにとどまることを余儀なくされた。彼は死が迫っていることを悟った。 10彼は友人全員を呼び寄せて言った。「眠りはわたしの目を離れ、心労のため精も根も尽き果てた。 11わたしは自問した。『なぜこんなにひどい苦痛に遭わされ、大波にもまれなければならないのか。権力の座にあったときには、憐れみ深く、人々には愛されていたのに』と。 12しかし今、エルサレムで犯した数々の悪行が思い出される。わたしは不当にも、その町の金銀の調度品全部をかすめ、ユダの住民を一掃するため兵を送った。 13わたしには分かった。こうした不幸がわたしにふりかかったのは、このためなのだ。見よ、わたしは大きな苦痛を負って、異郷にあって死ぬばかりである。」

🌸 答唱詩編 詩編66 典130 ①③

主をたたえよう。主はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠。

すべての人よ、神に向かって喜びの声をあげよ。
神の栄えをほめうたい、その栄光を賛美せよ。
「すべての人はあなたを伏し拝み、
み名をたたえて喜びうたう。」

神は力を現してとこしえに治め、
諸国に目を注ぎ、逆らう者を高ぶらせない。
すべての民よ、わたしたちの神をたたえ、
賛美の歌を響かせよ。

アレルヤ唱 典269 ㉙

アレルヤ、アレルヤ。わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ルカ20.27-40)

ルカによる福音

 27〔そのとき、〕復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。 28「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 29ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。 30次男、 31三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。 32最後にその女も死にました。 33すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 34イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、 35次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。 36この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。 37死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 38神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」 39そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。 40彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。

祈る花:Inoruhana
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🌸 分かち合い

 神殿に入られたイエスがユダヤ人との間でされた論争は、いくつもあるが、今週はその一つだけが選ばれている。待降節を前にした時期として、スペースの問題から絞られたのかもしれない。
 今日の論争のテーマは復活。サドカイ派の人々は復活ない、と主張していた。彼らの信仰の土台は、モーセ5書(律法)に限られ、後の時代に編まれた文書:預言者、知恵文学等は同等の権威をもたない、とされた。旧約で復活に言及するのは、イザヤ、ダニエル預言書、さらには、続編に属するマカバイ記等。しかし、イエスが約束される復活には遠く及ばない。
 サドカイ派の人々が持ち出す理屈は、人が死んで子を残さなかった場合、その妻は、子孫を残す(家名を残す)ために、その弟と結婚すべし、という律法(申命記25レヴィラート婚)の規定。こうした掟は、聖書以外にも残されている。
 しかし、イエスは言う、「復活するのにふさわしいとされた人々は、娶ることも嫁ぐこともない」と。死ぬことがなければ、子孫を残す必要もない。イエスが約束される復活のいのちは、まさに、神のいのちであり、わたしたちいのちの理解を遥かにこえるものであること、謙虚に認めなければならない。だから、イエスは言う、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからだ」と。(S.T.)

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。