0

天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。

マタイ13:47
集会祈願

???? 第一朗読 (エレミヤ18:1-6)

エレミヤの預言

 主からエレミヤに臨んだ言葉。 2「立って、陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」 3わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。 4陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。

 5そのとき主の言葉がわたしに臨んだ。 6「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。

???? 答唱詩編 詩編146 典19①②

アレルヤ唱 典

???? 福音朗読 (マタイ13:47-53)

マタイによる福音

 〔その時、イエスは人々に言われた。〕「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。 48網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。 49世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、 50燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

 51「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。 52そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

 53イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去〔った。〕

奉納祈願

拝領祈願

???? 分かち合い

 今日のみ言葉の典礼は、マタイ13章1節から始まった天の国について、七つのたとえ話集の結びの部分で、「網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める」というたとえ話があります。このたとえ話はマタイ福音書だけが伝えるものです。主イエスによる天の国のたとえ話を通して、一つの結論ができるのは、人間が神を求めるよりも、神のほうがどんな人でも、その私たちを探し求めているという神の深い慈しみを悟ることができるように招かれているのだと考えられています。その悟りを得るならば、私たちは主イエスの弟子になるのです。そうすると、主イエスのように神の深い慈しみを宣べ伝え、神の国を広げることができます。

 毒麦のたとえのように、マタイ的な解釈の部分を取り去りますと、本来は「天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚(良いものも悪いものも)を集める」というだけのたとえだったのかもしれません。そうだとすれば神がどんな人をも招いている、というところにたとえのポイントがあることになります。

 更に、「自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人」はもちろん、主イエスご自身のことでしょう(マタイ10章25節参照)。天の国を理解させようとした主イエスは、古い伝承や日常の生活の有様を話題にして、たとえを語りました。そこから学んだ弟子も、すべての人々を包み込む天の国の現実から、新しいもの、すなわち神の働き、神の深い慈しみを見出すことができます。私たちも主イエスの言葉に導かれる時、あらゆる出来事に神の働き、神の深い慈しみを見出すことができます。

年間第十七木曜日(偶数年)
0
Tagged on:     

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です