祈る花:Inoruhana
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年間第二十五月曜日(9/22)

どう聞くべきかに注意しなさい

🌸 第一朗読 (エズラ1.1-6)

エズラ記

 1ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。
2「ペルシアの王キュロスはこう言う。
 天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。 3あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。 4すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、その所の人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への随意の献げ物を持たせるようにせよ。」
 5そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした。 6周囲の人々は皆、あらゆる随意の献げ物のほかに、銀と金の器、家財、家畜、高価な贈り物をもって彼らを支援した。

🌸 答唱詩編 詩編126 典154 ①②

涙のうちに種まく人は、喜びのうちに刈り取る。

神が捕らわれびとをシオンにもどされたとき、
わたしたちは夢を見ている思いがした。
わたしたちの顔はほほえみ、
口には喜びの歌が浮かんだ。

国々の民も叫んで言った、
「神は彼らに偉大なわざを行われた」と。
神はわたしたちに偉大なわざを行われ、
わたしたちは喜びにあふれた。

アレルヤ唱 典

アレルヤ、アレルヤ。あなたがたはいのちのことばを保ち、ともし火のように世を照らしなさい。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ルカ8.16-18)

ルカによる福音

 16〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。 17隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。 18だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」

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🌸 分かち合い

 「ともし火」のたとえ。マルコにそっくり出る。どちらにも、この話のまえに、種を蒔く人のたとえが記されている。そこで、ルカははっきり、「種は神の言葉」と説明し、その話のすぐ後にこの「ともし火のたとえ」が来る。そして、今日の箇所の後半に、「だから、どう聞くべきかに注意しなさい」という言葉がある。当然のことながら、「ともし火」は神の言葉のこと。
 み言葉を聞く人は、世の光となって、あたりを照らすもの。ともし火は「燭台の上に置く」とある。見せびらかしたり、注目を集めたりするためではない。周囲を照らし、人々に必要な明かりを提供する。み言葉を聞く人もそのとおり。仏教の言葉に、「一隅を照らす。これ即ち国宝なり」というものがある。人から注目されなくても、自分のいるその現実の中で、少しでもまわりを明るくするようにつとめること。京都の比叡山、延暦寺を開いた最澄の言葉と言われる。因みに、延暦寺の根本中堂には、本尊の前に3つの燈明がある。その火を消さないように、毎日油を注ぐことを、最澄以来1200年続けてきた、という。「油断」という言葉はここから来たという説もあるらしい。
 日々、耳にするみ言葉は、はたして、自分だけでなく、出会う人々への光となっているだろうか。「持っている人は、さらに与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでもとりあげられる」。み言葉を聞いても、自分のものになるほどに、味わっていなければ、取り上げられるということか。

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

「年間第二十五月曜日(9/22)」への2件のフィードバック

  1. どう聴くべきか。

    思わぬ病に床につくとき、聞こえてくるものがある。

    能動も受動も神のもとでは統合されていると思う。

  2. 蛇年の僕の足は無用かな

    武蔵の女に

    独歩必然

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