年間第十八月曜日(8/4)
あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。
聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭 記念日
集会祈願
🌸 第一朗読 (民数記11.4b-15)
民数記
〔その日、イスラエルの人々は〕き言を言った。「誰か肉を食べさせてくれないものか。 5エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。 6今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」
7マナは、コエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。 8民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にした。それは、こくのあるクリームのような味であった。 9夜、宿営に露が降りると、マナも降った。
10モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。 11モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。 12わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。 13この民すべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。彼らはわたしに泣き言を言い、肉を食べさせよと言うのです。 14わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。 15どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください。あなたの恵みを得ているのであれば、どうかわたしを苦しみに遭わせないでください。」
🌸 答唱詩編 詩編81 典162 ④⑤
答:わたしが受けた神のことば。
「民よ、聞け、わたしの戒めを。
イスラエルよ、わたしのことばを守れ。
おまえにほかの神があってはならない。
異国の神を拝んではならない。」【答】
「しかし、民はわたしの声を聞かず、
イスラエルはわたしに従わなかった。
わたしはそのかたくなな心にまかせ、
彼らの望みのままに進ませた。」【答】
アレルヤ唱 典272 ㉜
アレルヤ、アレルヤ。人はパンだけではなく、神の言葉によって生きている。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ14.13-21)
マタイによる福音
マタイによる福音
13イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 14イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 15夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 16イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 17弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 18イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 19群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 20すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 21食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

🌸 分かち合い
イエスは洗礼者ヨハネの死を悼んで、一人、人里離れたところへ退いて、祈りの時を持たれた。彼の後を追ってやってきた群衆に、イエスはいろいろと教えられ、その中にいる病人を癒された、マタイは記す。
そして、話は、五つのパンと二匹の魚をもって5000人の人々の腹を満たされた、イエスの大いなる御業を通して、あたかも、イエスの活動が頂点に達したかのように展開する。ほぼ、同じ言葉を使って記す福音書は、その出来事の奇跡性に注目し、さらには、最後の晩餐での聖体の秘跡の制定を暗示しているように思われる。
ヨハネ福音書は、その出来事の描写に留まらず、それを契機として、イエスが「いのちのパン」について展開された長い説教に頁をさいている。共観福音書は、そうした説教には触れないが、今日のアレルヤ唱には、イエスが行われたパンの奇跡の意味を解き明かすかのように、イエスがかつて誘惑を受けた時に引用された、申命記の言葉、「人はパンだけではなく、神のことばによって生きている」を記している。
かつて、イスラエルの民が砂漠で飢えに苦しんでいたとき、天から降った不思議な食べ物―マナーで命をつないだことの意味を、モーセの口を通して、申命記の著者が解き明かしたように、今日、あらためて、パンの増加の奇跡が、神のことばこそが、人々を養う糧であることを思い起こさせる機会となる恵みを祈ろう。(S.T.)