♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

  • 年間第十五月曜日(7/13)

    小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける

    🌸 第一朗読 (イザヤ1:10-17)

    イザヤの預言

    ソドムの支配者らよ、主の言葉を聞け。
    ゴモラの民よ
    わたしたちの神の教えに耳を傾けよ。
    11お前たちのささげる多くのいけにえが
    わたしにとって何になろうか、と主は言われる。
    雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に
    わたしは飽いた。
    雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。
    12こうしてわたしの顔を仰ぎ見に来るが
    誰がお前たちにこれらのものを求めたか
    わたしの庭を踏み荒らす者よ。
    13むなしい献げ物を再び持って来るな。
    香の煙はわたしの忌み嫌うもの。
    新月祭、安息日、祝祭など
    災いを伴う集いにわたしは耐ええない。
    14お前たちの新月祭や、定められた日の祭りを
    わたしは憎んでやまない。
    それはわたしにとって、重荷でしかない。
    それを担うのに疲れ果てた。
    15お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。
    どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。
    お前たちの血にまみれた手を
    16洗って、清くせよ。
    悪い行いをわたしの目の前から取り除け。
    悪を行うことをやめ
    17善を行うことを学び
    裁きをどこまでも実行して
    搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り
    やもめの訴えを弁護せよ。

    🌸 答唱詩編 詩編50 典171①②

    【答】わたしたちは神の民、そのまきばの群れ。

    「わたしの民を集めよ、
    いけにえをささげて契約を結ぶ民を。」
    天は神の正義を告げる。
    神はすべてをさばかれる。【答】

    「わたしの民よ、聞け。
    わたしはおまえに語る。
    イスラエルよ、おまえを戒めよう。
    わたしは神、おまえの神。」【答】

    アレルヤ唱 典271⑧

    アレルヤ、アレルヤ。喜びおどれ、天においてあなたがたの報いは大きい。アレルヤ、アレルヤ。

    🌸 福音朗読 (マタイ10:34~11:1)

    マタイによる福音

     〔その時、イエスは使徒たちに言われた。〕「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 35わたしは敵対させるために来たからである。
     人をその父に、
     娘を母に、
     嫁をしゅうとめに。
     36こうして、自分の家族の者が敵となる。
     37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
     40「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。 41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。 42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
     1イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。

    祈る花:Inoruhana
    祈る花:Inoruhana

    🌸 分かち合い

     派遣される使徒たちへの言葉の結びの部分。イエスの言葉には、自然にこころに入ってくるものが多いが、今日の使徒たちへの言葉には、一つ一つ人をつまずかせる厳しさがある。
     「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来た。」まさか、熱心党のような武力を肯定する立場に変節されたわけではあるまい。イエスがもたらす「平和」とは何か。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない」とは、家族の中にも、敵対や分裂をもたらすとはどういうことか。人々が本能的に避けようとする十字架を担うとは、また、わたしのために命を失うとは。いつの間にか、神ならぬものを神とし、さらには、自らを神、世界の中心と思う傲慢を身に着けてしまった人間に、その真実、神の前にあるまことの姿に立ち帰るために、イエスは自らのいのちを懸け、弟子たちにも同じ道を歩むことを望まれる。
     イエスの弟子になることは、ユダヤ教のラビのように、師について学び、師に劣らない知識を身に着け、聖書を教える資格を得ることではない。むしろ、イエスについてゆくことは、その存在のすべてをイエスに委ね、イエスのように思い、イエスのように愛し、イエスのように生きることである。
     もし、そのように生きることができるなら、イエスの弟子は、文字通り、イエスを代表する者となる。だから、「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである」と言われる。そのような弟子に一歩でも近づくことができるよう、祈ろう。(S.T.)

🌸 AD MAJOREM DEI GLORIAM 🌸

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