祈る花:Inoruhana
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  • 年間第五主日 A年(2/8)

    あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。

    🌸 第一朗読 (イザヤ58:7-10)

    イザヤの預言
    7〔主は言われる。わたしの選ぶ断食とは、」
    飢えた人にあなたのパンを裂き与え
    さまよう貧しい人を家に招き入れ
    裸の人に会えば衣を着せかけ
    同胞に助けを惜しまないこと。
    8そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で
    あなたの傷は速やかにいやされる。
    あなたの正義があなたを先導し
    主の栄光があなたのしんがりを守る。
    9あなたが呼べば主は答え
    あなたが叫べば
    「わたしはここにいる」と言われる。
    軛を負わすこと、指をさすこと
    呪いの言葉をはくことを
    あなたの中から取り去るなら
    10飢えている人に心を配り
    苦しめられている人の願いを満たすなら
    あなたの光は、闇の中に輝き出で
    あなたを包む闇は、真昼のようになる。

    🌸 答唱詩編 詩編112 典99③④

    しあわせな人、神の恵みを受け、その喜びに生きる人。

    光はやみの中に輝き、
    神に従う人を照らす。

    神に従う人はとこしえにゆるぎなく、
    その思い出はいつまでも続く。

    🌸 第二朗読 (一コリント2:1-5)

    使徒パウロのコリントの教会への手紙
     1兄弟たち、わたし〔は〕そちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。 2なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。 3そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 4わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。 5それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。

    アレルヤ唱 典268 5A

    アレルヤ、アレルヤ。わたしは世の光。わたしに従う人は命の光を持っている。アレルヤ、アレルヤ。

    🌸 福音朗読 (マタイ5:13-16)

    マタイによる福音
     13〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

    祈る花:Inoruhana
    祈る花:Inoruhana

    🌸 分かち合い

     年があらたまって、もう2月、典礼は年間の季節に入り、福音はしばらくの間、マタイの山上の説教から読まれます。先週は説教の冒頭の言葉「幸い」についてでしたが、今日の福音はその続きの有名な言葉です。
     「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。」塩は、毎日の食事に欠かせないもので、現代は簡単に店で買えますが、昔は実に貴重なもので、塩を手に入れるために大変な苦労があったようです。瀬戸内海沿岸では塩田から塩を豊富に得ていましたが、海から遠い内陸の人(甲斐の武田氏)は大変だったに違いありません。もっぱら岩塩に依存するヨーロッパでは、ローマ時代、兵士に支払う給与は塩(ラテン語でsal)で、そこからサラリーという言葉が生まれたと言われています。
     「あなたがたは地の塩である」。そんなことを忘れて、つい塩味が薄いと食塩をかけ、味が濃すぎると文句を言う生活をしがちですが、はたしてわたしたちは、どれだけ「地の塩」になっているでしょうか。そもそも、主イエスが言われる「塩味」とは何を意味するのでしょうか。
     「あなたがたは世の光である」とも言われます。神ご自身が光であり、主イエスは自らを「世の光」と言われますが、その光とは何を指すのでしょうか。小さなランプでさえ欠かすことのできない時代、光はまさに貴重な光源でしたが、人工的な光の中で生きるわたしたちは、少し照度が足りないと「暗い」と文句を言い、太陽の光のように強すぎる光を浴びると、何とかそれを遮ることに苦心します。果たして、イエスが言われる「世の光」とは何を意味するのでしょうか。
     「地の塩」にせよ、「世の光」にせよ、ヒントは今日のみ言葉の中にしっかり記されています。コリントの教会で宣教に苦労したパウロは言います、「わたしは、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしは、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」と。パウロが福音を伝えるために頼りにしたのは、自分の知恵や、立派な言葉ではなく、神から来る力、神の霊による力だったのです。より身近な言葉でいえば、イエスとの親しさ、イエス自身の思い、心から来る、神のあふれるいのち、そして、愛だったのではないでしょうか。
     今日の第一朗読の言葉、イザヤの預言も、大事なヒントを含んでいます。「飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」、それが、主が選ばれる断食だと預言者は言います。そのようなことを進んで行うとき、「あなたの光は曙のように射し出で」、「あなたの光は闇の中に輝き出る」、と。イザヤがこう語った数百年後、イエスは繰り返すように、祝福されたものに言われます、「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(マタイ25.35∼36)と。
     先週の2月3日、日本の教会は9年前に福者に上げられた高山右近の記念を行いました。キリシタン時代、多くの人に、言葉だけでなく、行いを通して、大きな影響を与えた右近は、まさに、このことを実践した方です。頭の固い、当時の有力大名たちも、右近のそうした行いを見て、キリスト教に帰依する意思を抱いたのです。残念ながら、その多くは、途中で信仰から離れて行きました。しかし、右近は、自分の城、領地、領民、財産の一切を投げ打った末、禁教令に従ってフィリピンに流され、そこで命を捧げたのです。彼は、まさに、「地の塩」、「世の光」を生き抜いた方でした。
     パウロのように、キリストを知ること、それも単にキリストについて知ることだけでなく、キリストの心、キリストの思い、キリストの愛を学び、それに倣って生きること、また、預言者が掲げ、主イエスも、祝福されたものについての言葉に記された「小さな兄弟」への思いやりに満ちた行動を大事にしながら、「地の塩」、「世の光」として、人となられた主の愛を世に証しして生きることができますよう祈りましょう。(S.T.)

🌸 AD MAJOREM DEI GLORIAM 🌸

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