祈る花:Inoruhana
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  • 年間第三十二水曜日(11/12)

    立ち上がって、行きなさい。
    あなたの信仰があなたを救った。

    🌸 第一朗読 (知恵6.1-11)

    知恵の書

    1王たちよ、聞いて悟るがよい。
    地の果てまで治める者たちよ、学ぶがよい。
    2多くの人々を支配し、
    その国々の数を誇る者たちよ、耳を傾けよ、
    3あなたたちの権力は主から、
    支配権はいと高き方から与えられている。
    主はあなたたちの業を調べ、計画を探られる。
    4あなたたちは国に仕える身でいながら
    正しい裁きをせず、掟を守らず、
    神の御旨にそって歩まなかった。
    5神は恐るべき姿で直ちにあなたたちに臨まれる。
    上に立つ者は厳しく裁かれるのだ。
    6最も小さな者は憐れみを受けるにふさわしい。
    しかし、力ある者は力による取り調べを受ける。
    7万物の主はだれの顔色もうかがわず、
    強大な者をも恐れない。
    大いなる者も小さな者も、御自分が造り、
    万物を公平に計らっておられるからだ。
    8しかし、権力者には厳しい吟味が行われる。
    9支配者たちよ、わたしはあなたたちに言う。
    知恵を学び、職務にもとることがないように。
    10聖なる掟を聖なる手段で守る者は、聖とされ、
    掟を学んだ者には弁明の道が開かれる。
    11わたしの言葉を熱心に求め、慕うがよい。
    そうすれば教訓が身につくだろう。

    🌸 答唱詩編 詩編33 典46 ①④

    神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。

    神のことばはただしく、
    そのわざにはいつわりがない。
    神は正義と公平を愛し、
    いつくしみは地に満ちている。

    神はその住まいから、
    地に住むすべての人に目を注がれる。
    神はひとりひとりの心をつくり、
    そのわざを見抜かれる。

    アレルヤ唱 典273 ㊹

    アレルヤ、アレルヤ。すべてについて感謝しなさい。神はキリスト・イエスのうちにあって、あなたがたにこれを望んでおられる。アレルヤ、アレルヤ。

    🌸 福音朗読 (ルカ17.11-19)

    ルカによる福音

     11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

    祈る花:Inoruhana

    🌸 分かち合い

     このイエスの憐れみの物語は、ルカ独特のものである。イエスは、パレスチナの北の州であるガリラヤと、ガリラヤと南の州であるユダヤの間にあるサマリアの境を旅しておられた。イエスは、エルサレムに到着する前の最後の目的地のひとつであるエリコに向かうため、ヨルダン渓谷に向かっていた。

     ある村に入ると、10人のらい病人(男か女かは明記されていない)に出会った。彼らはハンセン病患者であったため、他の人々と親しく接することは許されなかった。なぜなら、ハンセン病は身体的接触によって他の人々に伝染する可能性があることが知られていたからである。ハンセン病患者の使徒として有名なダミアン神父が、ハワイのハンセン病患者のコロニーでの奉仕活動を通して、最終的にこの病気に感染したことは記憶に残っている。

     その恐ろしい病気のために、そのような人々は、文字通り社会の片隅で人生を送ることを余儀なくされた追放者だった。悲劇的なのは、当時の限られた医学知識からすると、そのような人々の多くはハンセン病ではなく、他の伝染病ではないが慢性的な皮膚病であった可能性が高いということだ。

     そこで、安全な距離からイエスを呼び、彼らは叫んだ:

     「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください。」

     イエスは彼らに、行って祭司たちに姿を見せるように言われた。そして、その途中で、彼らは皆癒された。おそらく彼らは、再び合法的に社会生活に戻れるように、「清い」という公式の宣言を与えてくれる祭司たちに会うために道を進んだのだろう。彼らの癒しの主要な要素は、社会復帰であった。

     治ったらい病人の一人が、イエスのもとに戻って来て「大声で神を賛美し」、深く感謝してイエスの足もとにひれ伏した:

     彼はサマリア人であった。

     この言葉には意味が込められている。他の人々はユダヤ人であったと推測されるからである。そもそも、ユダヤ人とサマリア人は互いに我慢できず、ユダヤ人はサマリア人を不浄な者として見下す傾向があった。しかし、ハンセン病という不幸の中で、このユダヤ人とサマリア人は、それぞれの民族から拒絶されながらも、互いの仲間に共通の支えを見出した。

     しかし、病気が治った今、お礼を言いに来たのは一人だけで、その一人はユダヤ人の目から見れば、まだ追放された者なのだ。イエスは仲間のユダヤ人たちを見回しながら、10人がきれいになったのに、たった一人しか感謝を伝えに来ず、しかも彼は軽蔑された外国人であったことに驚きを表す。

     この予期せぬ行動は、ルカのもう一つの物語、いわゆる「良きサマリア人」の物語にも反映されている。ここにも良きサマリア人がいる。ヨハネの福音書(ヨハネによる福音書4:4-42)に大きく登場するサマリア人の女である。

     その人にイエスは言われた:

     「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

     この「起きなさい」あるいは「立ち上がりなさい」という言葉は、イエスがしばしば癒しの対象に対して用いる言葉であり、復活と新しい人生への入口の響きを持つ。

     ルカの福音書の文脈の中で、この物語は、ルカの使徒言行録に描かれている初代教会の成長の展開を予感させる。というのも、エルサレムでの迫害から逃れた初期キリスト教徒たち(全員ユダヤ人)が、サマリアの人々を最初に主であるイエスとして受け入れ、福音に従うようになる一方で、エルサレムのユダヤ人の多くはイエスのメッセージと呼びかけに心を閉ざしたままだからである。

     私たちも、キリストに従う可能性のある人々を排除しようとする誘惑に決して負けてはならない。私たちは、最も見込みのない人であっても、すべての人に手を差し伸べる用意ができていなければならない。たとえ福音に極端に敵対的な態度を示す人であっても、部外者や不可触民として扱ってはならない。

     そして、私たちの社会には本当のらい病人はいないかもしれないが、今日は、現在の私たちの中で、誰がらい病人、部外者、のけ者、不可触者とみなされうるかを考える機会である。そして、私が個人的に、家庭で、職場で、人々と出会う他の場所で、誰かを部外者として扱っているかどうかを問うことである。そのような排除は、聖体において私たちが祝うことにまったく反する。

    Living Spaceより

🌸 AD MAJOREM DEI GLORIAM 🌸

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