• 年間第十一金曜日(6/19)

    体のともし火は目である

    🌸 第一朗読 (列王記下11:1-4、9-18、20)

    列王記

     〔その日、〕1アハズヤの母アタルヤは息子が死んだのを見て、直ちに王族をすべて滅ぼそうとした。 2しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹であるヨシェバが、アハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王子たちの中からひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋に入れておいた。人々はヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んだ。 3こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた。

     4七年目に、ヨヤダは人を遣わして、カリ人と近衛兵からなる百人隊の長たちを神殿にいる自分のところに連れて来させ、彼らと契約を結んだ。彼は主の神殿の中で彼らに誓いを立てさせ、王子を見せ〔た。〕

     9百人隊の長たちは、すべて祭司ヨヤダが命じたとおり行い、おのおの安息日が出番に当たる部下と非番に当たる部下を引き連れ、祭司ヨヤダのもとに来た。 10祭司は主の神殿に納められているダビデ王の槍と小盾を百人隊の長たちに渡した。 11近衛兵たちはおのおの武器を手にして、祭壇と神殿を中心に神殿の南の端から北の端まで王の周囲を固めた。 12そこでヨヤダが王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡した。人々はこの王子を王とし、油を注ぎ、拍手して、「王万歳」と叫んだ。

     13アタルヤは近衛兵と民の声を聞き、主の神殿の民のところに行った。 14彼女が見ると、慣例どおり柱の傍らに王が立ち、その傍らには将軍たちと吹奏隊が立ち並び、また国の民は皆喜び祝い、ラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは衣を裂いて、「謀反、謀反」と叫んだ。 15祭司ヨヤダは、軍を指揮する百人隊の長たちに、「彼女を隊列の間から外に出せ。彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ」と命じた。祭司が、「彼女を主の神殿で殺してはならない」と言ったからである。 16彼らはアタルヤを捕らえ、馬の出入り口を通って王宮に連れて行った。彼女はそこで殺された。

     17ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。 18国の民は皆、バアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司ヨヤダは主の神殿の監督を定め〔た。〕 20こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。

    🌸 答唱詩編 詩編50 典171②③

    【答】わたしたちは神の民、そのまきばの群れ。

    わたしの民よ、聞け。
    わたしはおまえに語る。
    イスラエルよ、おまえを戒めよう。
    わたしは神、おまえの神。【答】

    苦悩の日にわたしを呼び求めよ。
    わたしはおまえを救い、おまえはわたしをたたえる。
    感謝をささげる人は神をあがめる。
    正しい道を歩む人を、神は確かに救われる。【答】

    アレルヤ唱 典272㉞

    アレルヤ、アレルヤ。心の貧しい人は幸い。天の国はその人のもの。アレルヤ、アレルヤ。

    🌸 福音朗読 (マタイ6:19-23)

    マタイによる福音

     〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕19「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 20富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 21あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

     22「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、 23濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」

    祈る花:Inoruhana
    祈る花:Inoruhana

    🌸 分かち合い

     山上の説教の言葉が続く。今日のテーマは「富」。だれもが無意識のうちに蓄えようとする富は「地上にではなく、天に積め」、というイエスの勧め。
     しかし、考えてみれば、わたしたちが持ちたいと思う富、財産、宝と言えるものは、すべて地上のものではないか。生きていくうえで、必要なもの、有用なもの、便利なもの、それは、いつかはなくなるとわかっていても、持っていたい。それによって、自分が豊かになり、人前でも一目置かれ、自分でも満足がゆくものであり、それが奪われることは、何としても避けたいと思うのが普通である。災害にあったり、事故や病気で住み慣れた所から離れなければならない時、何が辛いかと言えば、自分の一部とさえなった「富」を手放さなければならないことではないか。
     人間は、本能的に自分のものと思い込んでいる「もの」に執着して生きている。それが文字通りの物であれ、家であれ、土地であれ、財産、地位、名声、業績、さらには、自分に授かった子ども等、すべてに縛られ、囚われて生きている。哲学者はそれを「所有」と呼ぶ。今の時代、人はあまりに所有にとらわれ、本来の自分を忘れ、自由を失っている。そうではなく、ものではない、自分のありのままの在り方「存在」を大事にすべきではないか、と。ものに縛られない「澄んだ目」とは、そのような状態を言うのかもしれない。
     「天に富を積む」、神の前に豊かなものになる道を歩ませてください、と心から祈ろう。(S.T.)

🌸 AD MAJOREM DEI GLORIAM 🌸

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