♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

  • 死者の日(11/2)

    わたしがその人を終わりの日に復活させる

    🌸 第一朗読 (知恵3:1-6、9)

    知恵の書

    1神に従う人の魂は神の手で守られ、
    もはやいかなる責め苦も受けることはない。
    2愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、
    この世からの旅立ちは災い、
    3自分たちからの離別は破滅に見えた。
    ところが彼らは平和のうちにいる。
    4人間の目には懲らしめを受けたように見えても、
    不滅への大いなる希望が彼らにはある。
    5わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。
    神が彼らを試し、
    御自分にふさわしい者と判断されたからである。
    6るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、
    焼き尽くすいけにえの献げ物として
    受け入れられた。
    9主に依り頼む人は真理を悟り、
    信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。
    主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、
    主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。

    🌸 答唱詩編 詩編23 典123 ①②④

    主はわれらの牧者、わたしは乏しいことがない。

    神はわたしを緑のまきばに伏させ、
    いこいの水辺に伴われる。
    神はわたしを生き返らせ、
    いつくしみによって
    正しい道にみちびかれる。

    たとえ死の陰の谷を歩んでも、
    わたしはわざわいを恐れない。
    あなたがわたしとともにおられ、
    そのむちとつえはわたしをまもる。

    神の恵みといつくしみに
    生涯伴われ、
    わたしはとこしえに
    神の家に生きる。

     31〔皆さん、〕もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 32わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 33だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。 34だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 35だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
     37しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

    アレルヤ唱 典275 ②

    アレルヤ、アレルヤ。わたしの父の意志は、子を見て信じる者が永遠のいのちを保ち、終わりの日に復活することである。アレルヤ、アレルヤ。

    🌸 福音朗読 (ヨハネ6:37-40)

    ヨハネによる福音

     37〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 38わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。 39わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 40わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

    祈る花:Inoruhana
    祈る花:Inoruhana

    🌸 分かち合い

     教会は11世紀以来、11月2日をすべての亡くなられた方のための死者の日として守ってきた。生前かかわりの深かった方に対して追悼の祈りを捧げるにしても、すべての死せる魂のために祈るにしても、死者のために祈るという習慣はとても深い意味をもつ。
     死者のために祈る時、人は、避けることのできない死の現実にあらためて思いを寄せる。長い闘病生活の後の最期であれ、突然、何の理由もなしに襲う死であれ、人は死の前に、悲しみや当惑、さらには、失望や後悔に加え、自らの無力をいやというほど感じさせられる。
     他方で、死という現実を前にしてはじめて、亡くなられた方の生の価値―その苦労・悩み・豊かさ・深さ等―を静かに、ゆっくり味わうことができるのも事実である。
     わたしたちと同じように死を経験された主イエスについても、同じことが言える。その無残な十字架の死は、あれほど親しく接していた弟子たちをも失意のどん底に突き落とした。しかし、弟子たちはその死後、そして、復活と言う体験を通して、イエスの生、そしてその死がもつ意味を少しずつ、理解するようになった。
     今日、わたしたちも、また、死に向かう存在であることを自覚するとともに、その限られた人生の中に与えられる、はかりしれない恵みに思いを致し、先立たれた方々とともに、この恵みを日々、大切に生きる決意をあらたにしよう。そして、何よりも、主イエスが、自らの死を通して、わたしたちに約束された復活のいのちへの希望を新たにしよう。(S.T.)

🌸 AD MAJOREM DEI GLORIAM 🌸

み言葉を読み続くならば、これをクリックしていただければ幸いです。

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

本日のみ言葉 教皇による祈りの世界ネットワーク(PWPN)
個人の祈りの意向
Generic filters
Filter by content type