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イエスが手を差し伸べてその人に触れ

ルカ5:13
集会祈願

???? 第一朗読 (一ヨハネ5.5-15)

5〔愛する皆さん、〕だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
6この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。 7証しするのは三者で、 8“霊”と水と血です。この三者は一致しています。 9わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。 10神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。 11その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。 12御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。
13神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。

???? 答唱詩編 詩編147 典135 ①⑤

アレルヤ唱 典259 公現後②

???? 福音朗読 (ルカ5.12-16)

ルカによる福音
12イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。 13イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。 14イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」 15しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。 16だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 昨日の福音書は主イエスがご自分の故郷ナザレにお帰りになった場面を語りました。そこでは、イザヤ書が書いた通り、その言葉が実現された主イエスのアイデンティティと使命は明らかに現れました。この箇所は、主イエスの上に神の霊がおられ、主イエスに油を注がれ、主イエスが神によって遣わされたというメシアの姿を示しています。そして、貧しい人に福音を告げ知らせ、とらわれている人に解放を、不自由な人に回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、すなわちあらゆる病から人を癒してくださるという主イエスの使命が示されています。

 今日の福音の個所では、主イエスの使命、この癒しの使命を実現するために、主イエスが全身重い皮膚病にかかった人を清くする場面が語られています。それで、この物語の最後の部分は、「大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た」と述べています。しかし、主イエスは直ちに彼らに福音を宣べ伝え、彼らの病気をすぐに癒すのではありません。むしろ、主イエスは「人里離れた所に退いて祈っておられた」と。

 ここでは、主イエスのように、時々自分の活動をわきにおいて、もっと大切なことをしなければなりません。それは人里離れた所に退いて祈ったことです。これは福音宣教を相応しく生かすため、本当に重要なことですが、私たちはそれを良く忘れてしまいましたような気がします。個人的な祈りが必要です。祈りを通して、自らの意思を捨て、神の御望みをさがし、そのお望みに従う必要があります。

 「人里離れた所」とは「荒れ野」のことです。主イエスが悪魔の誘惑を受け、御言葉によって打ち勝たれた場所です。その荒れ野において主イエスは絶えず自己中心的な誘惑、例えば名誉や傲慢、また恐れなどと戦い、そして祈りによって御言葉を与えられ、その誘惑に打ち勝っているのです。もっと分かりやすい例として申し上げるのはオリーブの庭で主イエスは祈られた場面です。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22:42)と。

 だから、私たちの心を主のみ心に調和させ、時々休憩を取るのは大事です。主よ、あなたにのみ中心をおいて生きたいです。なので、仕事や福音宣教活動をする前に、またその活動を終わるときにあなたと対話さて、あなたのみ心に従わせてください。

主の公現後金曜日(1月8)
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