多くの人々が豊かに恵みを受け、
聖アントニオ(パドヴァの)司祭教会博士
🌸 第一朗読 (2コリント4・7-15)
使徒パウロのコリントの教会への手紙
皆さん、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。8わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、9虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。10わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。11わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。12こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。13「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。14主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。15すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
🌸 答唱詩編 詩編116 典97②③
答:このパンを食べ、この杯を飲み、わたしは主の死を告げ知らせる。
神を敬う人の死は
神の前にとうとい。
神よ、わたしはあなたに仕え、
あなたはわたしを救われる。【答】
わたしは感謝のいけにえをささげ、
神の名を呼び求めよう。
すべての民の前に進み出て、
神に立てた誓いを果たそう。【答】
アレルヤ唱 典
アレルヤ、アレルヤ。あなたがたはいのちのことばを保ち、ともし火のように世を照らしなさい。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ5・27-32)
マタイによる福音
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。27「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。28しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。29もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。30もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。
31『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。32しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

🌸 分かち合い
律法の中には、もう一つの厳しい掟、「姦淫するな」がある。
これは、男性中心の社会の中で、男が既婚の女性と関係をもつことを厳に戒めたもの。
しかし、イエスは言う、「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」と。これは、一見、律法よりもよほど厳しい掟に思われる。さらには、目や手がつまずかせる(罪をおかさせる)なら、切り取ってしまいなさい、とまで言われる。
イエスは、律法以上の要求をするのではなく、律法が目指していることを、より明らかにしようとされる。つまり、結婚した夫婦が互いの愛によって結ばれて幸せになるという、神が定められた恵みに反する思いは、断じて避けなければならない、ということではないか。結婚しているものが、他の夫婦関係に介入して、その愛を妨害するような行い、それは心の中に芽生える、は厳に戒めなければならないのである。
離縁についての教えにも、同じ考えが流れている。一度、共に生きる決意をして生活し始めた相手との縁を切ろうとすることには、どのような事情があろうとも、相手を尊い人格として愛することを放棄して、自分の思いだけで築かれた絆を左右しようとする、自分中心の思い(=愛の不在)が潜んでいるのではないか。
人間の心の中に潜むそうした誘惑から守られるように、また、夫婦の関係で行き詰まりを感じ、形式的な関係になったり、半ばあきらめ状態に生きる夫婦に解決の道が開かれ、互いに愛し合う間柄を取り戻すことができるよう祈ろう。(S.T.)