2025年10月27日
年間第三十月曜日
 
 平和の道具
 「この女はアブラハムの娘なのに、18年もの間、サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」(ルカ13:16)
 主のまなざしに見守られながら一日を始めるとき、イエスが安息日に腰の曲がった女性をどのように解放されたかを思い出しましょう。
 自分の人生とこの世における憎しみや不正の連鎖を、すべて断ち切ってくださるよう主に求めましょう。
 たとえ代償を払うことになっても、平和を守る勇気と、具体的な行動を通して平和を推進する信仰を祈り求めましょう。
 周囲の人々の無関心の中で、静かに癒しを行われたイエスのように、この傷ついた世界で、主のいつくしみの道具となれますように。
 言葉が優しくなり、行いが正しくなり、その心が開かれたものとなりますように。
 この意向のために「日々ささげる祈り」を唱えましょう。
イタリア青年チーム
愛のうちにおられる神
 立ち止まり、次の言葉に思いを巡らせましょう。
 「人は皆神の像として造られているがゆえに、もしもだれかに対して兄弟のように振る舞うことを拒否するのであれば、すべての人の父である神に祈り求めることはできない。人間と父である神との関係は兄弟である人間どうしの関係と密に結びついているので、聖書で『愛することのない者は、神を知りません』(一ヨハネ 4:8)といわれているほどである。」(「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」5)
 すべてのものの父なる神に、どのような顔の中にも兄弟姉妹を見出す心をお与えくださいますよう祈りましょう。
 神への愛が、他者への具体的な愛として示されるように祈りましょう。なぜならば、そうすることによってのみ、真に神を知り、神に仕えることができるからです。
 教皇による「今月の祈り」をともにささげましょう。
イタリア青年チーム
平和の担い手
 静けさと信頼をもって主の御前に身をおきましょう。
 自問しましょう:「今日、どこで平和の種を蒔いただろうか?」「どのような言葉や仕草で架け橋となれただろうか?」
 どこで判断や無関心に流されてしまったかを、主が愛をもって示してくださいますように。そうすれば、主の助けによって、日々、心を切り替える選択をすることができるでしょう。
 忍耐強い心、勤勉な手、そして人々を結びつける言葉を与えてくださるように、求め祈りましょう。そうすれば、主の御名において、平和の担い手となれるでしょう。
 「主の祈り」
イタリア青年チーム

