2025年5月2日
復活節第二金曜日

どんなにわずかでも
初金曜日
今日の福音で、イエスは群衆に食べ物を与えます。(ヨハネ6:1-15)。 「ここに、大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」とアンデレが言うと、イエスは「人々を座らせなさい」と答えます。
正義は秘跡から生まれます。「『聖体をいただく』とは、私たち自身と私たちが持つすべてのものを他者と分かち合うことを可能にする恵みをキリストから受け取ることを意味します」。(教皇フランシスコ)
喜び、希望、仕事、苦悩など、あなたが抱えているわずかなものでも父なる神に差し出しましょう。あなたの心を御子イエスの心に近づけてくださるよう、神に祈り求めましょう。
どんなにささやかな贈り物でもキリストが豊かにしてくださることを信じて、今月の意向のために、「日々ささげる祈り」を祈りましょう。
無償
少し立ち止まって今朝聞いた福音を思い出してください。イエスが群衆に食べ物を与える箇所を。あなたは信仰によって結ばれた世界ネットワークの一員です。目に見えないこともありますが、これは巡礼、出会い、秘跡を通して結ばれた、生きた共同体なのです。
命のパンはあなたの霊を養い、あなたが受けた愛を生きるよう呼びかけています。「ミサで聖体をいただくことは、イエスの論理、すなわち惜しみなく与え、分かち合うという論理に身をゆだねることを意味します。どんなに貧しくとも、私たちは皆何か与えるものを持っています。『聖体を受ける』とは、キリストから恵みを受けることであり、その恵みによって、私たち皆と私たちが持つすべてのものを他の人々と分かち合うことができるのです。」(教皇フランシスコ)
たとえ世の中がそれに抵抗しても、この無償の愛の論理はあなたの羅針盤であり続けます。一日の後半を主にゆだねましょう。主の愛を映し出すしぐさや言葉、笑顔を、あなたの中に授けてくださるよう、主に祈り求めましょう。
今月の祈りをささげ、すべての人が、一人一人の尊厳を重んじる仕事の成果であるパンを食卓に並べることができるよう祈り求めましょう。
結んだ実を刈り入れる
今日というあなたの一日の旅が終わろうとしています。それは、イエスがパンを増やした後に集めたパンくずのように、小さな、ありふれた瞬間の積み重ねでした。しかし、無限のパンくずも、やはり貴重です。
今夜、あなたのバスケットにどんな恵みを入れたいですか? どんな美しい瞬間が心に残りましたか? 思いがけないことだったかもしれません。神に感謝しましょう。
あなたは神の贈り物にどう応えましたか? 愛に愛で応えましたか?
明日が近づいています。心を開くことができるよう主に求めましょう。傷つくことから逃げずに、イエスに倣って、神の善き業を世界にもたらす道具となれますように。
「主の祈り」…