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教皇の意向:病者への司牧的ケア (7月)

四旬節第四火曜日(3/12)

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あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない

ヨハネ5:14
集会祈願

🌸 第一朗読 (エゼキエル47.1-9、12)

エゼキエルの預言

 1〔その日、主の使いは〕わたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。 2彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。 3その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。 4更に一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。 5更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。 6彼はわたしに、「人の子よ、見ましたか」と言って、わたしを川岸へ連れ戻した。 7わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。 8彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。 9川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。

🌸 答唱詩編 詩編 典165 ⑥⑦

詠唱 典261 ①

🌸 福音朗読 (ヨハネ5.1-3a、5-16)

ヨハネによる福音 

 1その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。 2エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。 3aこの回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。 3b-4† 5さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。 6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」 8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
 その日は安息日であった。 10そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」 11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。 12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。 13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。 14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」 15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。 16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 ヨハネ福音の共観福音書と違う特徴の一つは、象徴の扱い方。水、光、ぶどうの木、牧者など。奥深い神の現実を説明するために、象徴を見事に使いこなしている。
 今日の福音の中心は「水」。エルサレム神殿の北側に―ベトザタ、あるいは、ベテスダーと呼ばれる池がある。その池の水には特別な効能があり、多くの病人が癒しを期待して集まっていた。今日の福音では省略されているが、「主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたから」(3b∼4)とある。しかし、38年も病気で歩くこともできなかった男は、ついぞ水に入れてもらえず、癒しの恵みを受けていなかった。
 それに気づいたイエスは、本人の癒しを願う意志を確認した後、ひと言「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と言われ、男を癒される。水につかることなく癒された男は、どのような思いを抱いただろうか。人を癒し、生かすのは、水ではなく、神ご自身であること、ただちに悟っただろうか。
 第一朗読エゼキエルの預言の中でも、「水」の話が出る。神殿から流れ出る水が、川を清め、生き物を生き返らせる。これも、すべてのものに命を与える神の働きのしるしである。
 ユダヤ人は、そうしたことにお構いなく、安息日に床を担いで歩いて行ったことで男を責め、さらには、イエスを迫害し始める。はたして、わたしたちは、自分を生かし、働かせるのは、神ご自身であることを信じて生きているだろうか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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