年間第十土曜日(14/6)
『然り、然り』『否、否』と言いなさい
🌸 第一朗読 (2コリント5・14-21)
使徒パウロのコリントの教会への手紙
皆さん、14キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。15その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
16それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。18これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。19つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。20ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。21罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
🌸 答唱詩編 詩編103 典93①④
答:心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。
神はわたしの罪をゆるし、
痛みをいやされる。
わたしのいのちを危機から救い、
いつくしみ深く祝福される。【答】
天が地より高いように、
いつくしみは神をおそれる人の上にある。
東と西が果てしなく遠いように、
神はわたしたちを罪から引き離される。【答】
アレルヤ唱 典
アレルヤ、アレルヤ。あなたの顔をわたしの上に輝かせ、掟を授けてください。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ5・33-37)
マタイによる福音
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。33「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。34しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。36また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

🌸 分かち合い
「一切誓ってはならない」とイエスは言われる。わたしたちには、あまりなじみがないが、誓いということは、イスラエルの人々にとって、イエスの時代でも大きなことであったに違いない。十戒(出エジプト20.16)の中に、「偽証してはならない」という掟があり、レビ記でも偽りの誓いを禁じている(レビ19.12)。旧約聖書の中で、誓いに関する印象的な出来事は、「士師記」(11.29∼39)が伝えるエフタの話。アンモン人との戦いに出るとき、エフタは「もし戦いに勝って無事に帰ることができたら、家の戸口で自分を迎える者を焼き尽くす捧げものとします」と主に誓った。無事、戦いに勝って帰ってきたとき、彼を迎えたのは愛する一人娘だった。誓った以上、それを破ることはできず、エフタは娘を2か月後に誓い通り、主に捧げたと聖書は記す。
誓いというものがそれだけ重みをもっていた半面、誓いでなければ、守らなくてよいという考えも広がっていたようだ。そこで、イエスは、誓っても、誓わなくても、自分の口から出た言葉には責任をもつように、という意味で「一切誓うな」と言われたのではないか。あまり、「誓う」ということをしないわたしたちにとって、契約、覚書等、書面にすること、印鑑を押すことと置き換えたらどうか。法的な効力の有無ではなく、言葉というものに対して、主のみ前で、責任ある態度を身に着けることを教えておられるのではないだろうか。(S.T.)