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教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

年間第三十二水曜日

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神を賛美するために戻って来た者はいないのか

ルカ17:18
集会祈願

🌸 第一朗読 (テトス3.1-7)

 1〔愛する者よ、〕人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと、 2また、だれをもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなければならないことを。 3わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌み嫌われ、憎み合っていたのです。 4しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、 5神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。 6神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。 7こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。

🌸 答唱詩編 詩編23 典123 ①④

アレルヤ唱 典273 ㊹

🌸 福音朗読 (ルカ17.11-19)

ルカによる福音

 11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の福音から、「もっと感謝と賛美の心を持たなければならない」という教訓を受け取る必要があると思います。しかし、「感謝し、賛美する」ということは、義務感から来るものではなくて、むしろ自然に心の中からわき上がるものでるはずです。どうしたら心から賛美し、感謝することができるかを考えるために、自分をこの福音の場面の中に置いてみて、このサマリア人の立場からこの物語を味わってみてはどうでしょうか。病気が治った人々はもちろん皆、喜んだはずです。しかし、祭司のところに行く前に、「感謝し」「賛美するために戻ってきた」のはサマリア人だけでした。それはなぜなのでしょうか。

 この10人は皆「清くされた」のですが、1人のサマリア人だけが「自分がいやされたのを知って」と言われています。「知る」は直訳では「見る、分かる」です。この人がはっきりと意識したことは、「自分がいやされた」つまり「神がこの自分をいやしてくださった」ということだったのでしょう。他の人と違って、そのことを明確に知ったからこそ彼は賛美し感謝することができたのだ、と言えるのではないでしょうか。

 わたしたちの中に似た経験があるかもしれません。わたしたちが、本当に神に感謝し、神を賛美するのはどんなときでしょうかということは今日の福音書によって、考えさせられたのです。

 「あなたの信仰があなたを救った」という言葉は福音書に何度か出てきますが、考えてみれば不思議な言葉です。「神があなたを救ってくださった」というほうが自然ではないでしょうか。しかし主イエスは意外なほど「信仰」の力を強調しています。

 重い皮膚病だったこのサマリア人の「信仰」とは何でしょうか?それは、この人が自分の病気が治ったことを「神がいやしてくださったこと」として受け取ったということではないかと思います。また自分の身に起こった出来事の中に神とのつながりを発見すること、自分の現実の中に神の働きを見ていくこと、それがここでいう信仰だと言えるかもしれません。そして、病気がいやされたことより、この人が心から感謝と賛美を生きる者となった、そのこと自体だと言ってもよいのではないでしょうか。

 そういう意味で、私たちの霊的な生活の中で、信仰・癒し・感謝という三つの賜物は本当に大切なのです。これらの賜物をもっと深く味あうことができますように。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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