♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向:女性の役割 (4月)

四旬節第三火曜日(3/14)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

七の七十倍までも赦しなさい

マタイ18:22
集会祈願

🌸 第一朗読 (ダニエル補遺・アザルヤ11-20)

ダニエルの預言

〔その日、アザルヤは〕火の中で、口を開いて次のように祈った。
「〔主よ、〕11あなたの御名のゆえに
我らを決して見捨てることなく、
あなたの契約を取り消さないでください。
12あなたの愛されたアブラハムと
あなたの僕イサクと
あなたの聖なるイスラエルとに免じて、
あなたの憐れみを
我らから取り去らないでください。
13あなたはこの先祖たちに、
子孫を天の星のように、
海辺の砂のように増やす、と言われました。
14ところが、主よ、
我らはどの民よりも少なくなり、
我らの罪のゆえに、今日、全地で
卑しめられています。
15今や、高官も預言者も指導者もなく、
焼き尽くす献げ物もいけにえも
供え物も香もなく、
憐れみを得るために
献げ物を御前に供える所もありません。
16ただ、砕かれた魂とへりくだる心をもつ我らを
受け入れてください。
17焼き尽くす献げ物の羊と牛のように、
幾万の肥えた小羊のように、
今日の我らのいけにえが、
御前に受け入れられますように。
あなたに従う我らの歩みを全うさせてください。
あなたに信頼する者は辱められないからです。
18今や、我々は心からあなたに従い、
あなたを畏れ、御顔を求めます。
19我らを辱めず、
むしろ、寛容と豊かな憐れみをもって
我らに臨んでください。
20驚くべき御業をもって、我らを救い、
主よ、御名の栄光を輝かせてください。」

🌸 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マタイ18:21-35)

マタイによる福音

 21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。 28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。 29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。 31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。 35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 共同体についての教えを集めた18章の結びの部分。「ゆるし」について、それも「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」というイエスの教え。なぜ、そこまで赦しを強調するのか。ただ、神の赦しの大きさを教え、弟子もそれに倣うようにとの教えだろうか。
 よく読むと、このたとえには、二つの面があげられている。一つは、王から莫大な借金(1万タラントン)を帳消しにしてもらった家来、同時に、自分にもっと少ない借金(百デナリオ)をした仲間を赦そうとしない人間、この対比は、太陽と月の光の違いにも相当する。その二つの態度が一人の人間の中に同居している。しかし、本人はそれに気づかない。
 イエスのたとえ話には、よく二人の人物が登場する。「放蕩息子のたとえ」の兄と弟、税吏とファリサイ派の人の話、罪の女とファリサイ派の男シモン。自分が大きな罪を赦されていながら、そのことに気づかずに他人を上からの目線で眺め、断罪する人間の二面性。最も赦しを必要としているにも拘わらず、他人を裁いて、自分の罪の赦しを求めようとしない人間。そんな人間の罪深さを、イエスは何とかして悟らせようと、そして、そのような罪さえも赦そうとする神の限りない愛、赦しの愛を、教えようとされたのではないか。しかも、様々なたとえをもって、ただ、口で教えるだけでなく、まさに、自ら味わわれた苦しみと十字架上の死という、全存在をかけての捧げを通してお示しになった、その秘儀を一層深く悟る恵みを祈ろう。(S.T.)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

関連投稿🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

コメントする