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教皇の意向:女性の役割 (4月)

主の降誕第七日(12/31)

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言は神と共にあった。言は神であった。

ヨハネ1:1
集会祈願

🌸 第一朗読 (一ヨハネ2:18-21)

使徒ヨハネの手紙

 18子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。 19彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。 20しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。 21わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。

🌸 答唱詩編 詩編96 典148 ①④

アレルヤ唱 典259(公現前①)

🌸 福音朗読 (ヨハネ1:1-18)

ヨハネによる福音

 1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2この言は、初めに神と共にあった。 3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 5光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 6神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 7彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 8彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 9その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 12しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 15ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 16わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 17律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。 18いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 1年の終わりの日、教会では、夕の祈りの中で、”Te Deum”(賛美の賛歌)を歌う習慣がある。神からいただいたたくさんの恵み、歴史の中で神がなされた多くの救いの御業を思い起こし、感謝と賛美の心を深めて一年を終えるのだ。
 今年はどのような年だったか。今年こそはコロナから解放される、と淡い希望をもって迎えた1年、見事に裏切られ、年末に至るまで、感染の心配はなくならず、かつて以上に亡くなる方も多かった。さらに、2月以降、ウクライナで起きた「戦争」はいつ終わるとも知れず、悲惨な状態に置かれた人々の苦しみは一向に癒えることがない。国内でも、安部元首相の暗殺事件を始め、信じられない悲しい事件が相次いだ。
 そんな中でも、教会は、今年も降誕祭を祝い、1年を感謝のうちに終わろうとしている。人間の現実に目をつぶるのではなく、むしろ、そうした現実があるからこそ、一層、信仰の核心に立ち帰る必要を感じ、今日のみことばが選ばれている。
 降誕祭の日中のミサでも読まれたヨハネ福音書の言葉、「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」をあらためて味わおう。『創世記』が「初めに、神は天地を創造された」と記したところに、ヨハネは「はじめに言があった」と書く。「言」は天地を創造された神自身のことであり、造られたものに命を与え、闇に光をもたらす方である。しかも、『ヘブライ人への手紙』が記したように、選ばれた民の中で、様々なかたちで自らの意志を示し、歴史を導いて来られた神が、終わりの時代に、御子を通して語られたという。その御子こそ、マリアの胎を通して人となり、人々の中で生き、働かれたイエス・キリストである。
 ヨハネは、この福音書の序言を次の言葉で結ぶ、「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」と。「恵みと真理」、これは旧約時代人々が詩編の中で繰り返し歌った「いつくしみとまこと」(e.g.詩編117)のことである。人々の背き、かたくなさにも拘わらず、神は決して人間を見捨てることなく、それどころか、それまでに勝る大きな恵みである、御子を人の世に遣わされたのである。
 人となられた神の子は、幼児として生まれ、人々の間で、喜びも悲しみも経験し、そして、人間すべてが避けて通れない死をも受け入れ、復活のいのちに入られた。この神の子イエスにおいて、わたしたちは決して見ることのできなかった神の「いつくしみとまこと」を、今や自らの体験を通して確信することが出来るようになったのだ。
 「神が人となる」という神秘は、今もなお続いている。人間の弱さと邪悪さの中で、神は、今日も、人として、人と共に生きることを望んでおられる。人と共にある神への信仰を新たにし、希望をもって新年を迎えよう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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