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教皇の意向:女性の役割 (4月)

待降節第三木曜日(12/15)

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歓声をあげ、喜び歌え。

イザヤ54:1
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤ54:1-10)

イザヤの預言
1喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。
歓声をあげ、喜び歌え
産みの苦しみをしたことのない女よ。
夫に捨てられた女の子供らは
夫ある女の子供らよりも数多くなると
主は言われる。
2あなたの天幕に場所を広く取り
あなたの住まいの幕を広げ
惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。
3あなたは右に左に増え広がり
あなたの子孫は諸国の民の土地を継ぎ
荒れ果てた町々には再び人が住む。
4恐れるな、もはや恥を受けることはないから。
うろたえるな、もはや辱められることはないから。
若いときの恥を忘れよ。
やもめのときの屈辱を再び思い出すな。
5あなたの造り主があなたの夫となられる。
その御名は万軍の主。
あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神
全地の神と呼ばれる方。
6捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように
主はあなたを呼ばれる。
若いときの妻を見放せようかと
あなたの神は言われる。
7わずかの間、わたしはあなたを捨てたが
深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。
8ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが
とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと
あなたを贖う主は言われる。
9これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。
再び地上にノアの洪水を起こすことはないと
あのとき誓い
今またわたしは誓う
再びあなたを怒り、責めることはない、と。
10山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。

🌸 答唱詩編 詩編30 典65 ①④

アレルヤ唱 典256 ⑦

🌸 福音朗読 (ルカ7:24-30)

ルカによる福音
 24ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。 25では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。 26では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。
 27『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
 あなたの前に道を準備させよう』
と書いてあるのは、この人のことだ。 28言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」 29民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。 30しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 この一週間、待降節の主要な人物の一人、洗礼者ヨハネのことが連日読まれている。今日の箇所は、先の主日に読まれたマタイの並行箇所とほぼ同じ。メシアの先駆者である洗礼者ヨハネについて、イエスは最大級の賛辞を送る、「女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大なものはない」と。そして、イエスは続けて言う、「しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」と。どういう意味だろうか。
 ヨハネは、預言者が遠い将来についての希望を語ったのに対し、もうすでに来ているメシアについて語りながら、自分は牢につながれ、直接その業を見ることが出来ない。メシア時代の喜びを感じつつ、同時に、自分に迫る最期におののいている。
そのヨハネをイエスは牢から救いだそうとはしない。
 その代わり、ヨハネを称揚する。イエスがもたらす救いは、病や苦しみからの解放そのものではなく、神の国に入ることである。イエス自身も、そのために、自らをささげる時がやがて来る。そして、ヨハネは、イエスに先立って神の国に入るための道を開き、そのために、自らの命をささげる。神の国に入る者は、ヨハネが開いた道を通り、メシアが現実のものとする、その救いにあずかるものとなるのである。
 その救いの到来を喜びつつ、それにふさわしい心をもって、今も、生きる恵みをともに祈ろう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

4 comments

  1. ヨハネ・パウロ二世の使徒的勧告『奉献生活』は1996年3月25日に発布され日本語版は1997年10月15日に発行されている。

    先程、奉献生活者と話していて、孤独や苦しみが癒された気がしたが、むしろ、孤独や苦しみは決して悪いものではない、ということもはっきりしてきた。

    、、、洗礼によって主の死と復活という過越の秘義にあずかっていること

    十字架を担う者となることによって、聖霊を運ぶ者となり、真に霊的な者になる

    霊的戦いと沈黙、、、

    基本的なことや漠然と感じていたことが、はっきりと書かれている。

    返信
  2. 奉献生活者の女性と電話で話ができた。
    ようやく本当に心が落ち着いた。

    新聞と聖書と祈りの花やスマホに依存する毎日だった。

    適切な言葉遣いでないかもしれないが、少なくとも自分にとっては奉献生活者であることが必要であり大切なことだと思う。

    失踪中の母のことを思うと常に十字架につけられている気持ちになるが、
    確か2階にあるヨハネ・パウロ二世の奉献生活の本を読んでみよう。

    返信
  3. 分かち合いにある、牢や病や苦しみ。それ自体がなくなるということではなく、、。
    うまく言えないが、救いの神秘、信仰の神秘だと思う。
    我々キリスト者は、牢にある人が、病にある人が、すべての苦しむ人々が、
    それでもよかったと言える情況を作るために生きている、まさに神とのコラボ。
    日本の殉教者たちは信仰の神秘、救いの神秘の証人だと思う。
    ペトロ・ネメシェギ『愛と恵み』75頁以下参照。

    返信
  4. まだ第一朗読のイザヤ書冒頭しか読んでないが血肉の子ばかりでなく霊的な子にこそ注目すべき、というか、血肉の子も霊的な子として新たに見ることにより独立した人格としてリスペクトできるのではないか。決して自分の所有物としてではなく。

    自分が成長してきた過程において、不妊や独身の女性たちの役割は大きい。
    どこかで結婚修道会と書いたが、そもそも修道者は神キリストと結婚しているのだろう。
    キリストは男だ。男子修道会があるということは教皇庁は同性婚を認めたのか?
    深夜にスマホなんていじくるから神縛りにあってしまった。
    神さまごめんなさい。
    神すこ、って昔あったが
    神ごめなボク。
    神コメとラブコメは同義?
    とにかく、おやすみなさい!

    返信

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