小教区の教会のために祈る (1月)

待降節第二主日(12/4)

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悔い改めよ。天の国は近づいた。

マタイ3:2
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤ11:1-10)

イザヤの預言
1〔その日、〕エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
2その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
3彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
目に見えるところによって裁きを行わず
耳にするところによって弁護することはない。
4弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
その口の鞭をもって地を打ち
唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
5正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。
6狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
7牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
8乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
9わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。
10その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。

🌸 答唱詩編 詩編72 典136 ①②④

🌸 第二朗読 (ローマ15:4-9)

使徒パウロのローマの教会への手紙
 4〔皆さん、〕かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。 5忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、 6心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。
 7だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。 8わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、 9異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。

アレルヤ唱 典255(第二主日)

🌸 福音朗読 (マタイ3:1-12)

マタイによる福音
 1そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 2「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。 3これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」
 4ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。 5そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、 6罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
 7ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 8悔い改めにふさわしい実を結べ。 9『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 10斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 11わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 12そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 先週から待降節に入り、降誕祭が日増しに近づいていることを感じます。町のあちこちに、イルミネーションが輝き、お店ではクリスマス・セールが始まっています。もう、クリスマスがやってきたような錯覚さえ覚えます。教会でも、馬小屋の準備や飾り付けがなされていますが、まだ、幼児イエスの姿はありません。お告げを受けてから、幼児の誕生まで、マリアとヨセフが長い祈りの日々を送られたように、また、神の救いの計画の実現に長い時間が必要だったように、教会は、今、クリスマスを迎える大切な準備の時を過ごしています。
 旧約の預言者たちがメシアの到来を預言し、洗礼者ヨハネが主イエスの登場に備えたように、教会も、今、現代の世界にお出でになる救い主のために、心の準備をするのです。しかし、人間がそうした準備をする前に、神ご自身が、長い準備の時を設けられたことを思い起こしましょう。
そこには、驚くほど豊かで、深い人間と神との出会いの歴史が展開しますが、それは一貫して、一つの方向、つまり、救い主の到来、メシア時代の到来を目指していたのです。
 待降節の間に、繰り返し読まれるイザヤの預言には、直接、メシア王の到来、メシア時代の有様を伝える言葉が散りばめられています。今日の第一朗読の中で、イザヤは語ります、「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」と。エッサイは名君と呼ばれたダビデ王の父、しかし、イザヤが生きた紀元前8世紀、イスラエルは、南北に分裂し北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、残されたユダも、バビロニアの侵攻の前に風前の灯の状態でした。その中で、イザヤは、唯一の神への信仰を守り、神への信頼を固めること、そして、かつて王国を治めたダビデの子孫から、新しい希望の星メシア王が誕生することを預言します。「彼は目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する」と。
 さらに、そのメシアの時代には、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる」と。
 外国の侵攻におびえ、何とか同盟関係を結んで王国の存続を守ろうとする王の前で、来るべき時代、メシア時代の平和について語ることは、夢を見る人、根拠のない理想を語る人として相手にされなかったかもしれません。事実、ユダ王国は、その約150年後、都エルサレムもろとも、大国バビロニアの手によって焼き尽くされ、王国は崩壊します。3年前に来日されたフランシスコ教皇は、長崎・広島・東京と、それぞれの地で、貴重なメッセージを語り、武器や力に頼らずに平和を実現するよう説かれましたが、それは、まさに預言者の言葉に通じるところがあります。
 今日の典礼読まれた福音では、主イエスの到来の直前に登場した洗礼者ヨハネの姿が描かれていました。洗礼者ヨハネは、約束されたメシアではないかと、人々が期待を膨らませて、彼のもとに集まってきたとき、彼は言います、「わたしはメシアではない」。むしろ、預言者が記した「荒れ野で叫ぶ声」である。(ヨハネ1.20∼24)と。彼は、メシアの到来に備えて、人々が悔い改めるよう促し、そのしるしとしてヨルダン川で洗礼を授けていました。彼は言います、「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と。
 そして、メシア王である、神の子・イエスがお生まれになり、わたしたち人間世界の中で、神のみ旨に従って、苦しむ人々の友となり、人間皆のため、人間が神のいのちに生きるよう、自らを十字架上で捧げて下さいました。そのご生涯と死を通して、真の平和がどこから来るか、身をもって証しされたのです。しかし、それから2000年経った今も、わたしたちのまわりには、貧しい人、病める人、様々な理由で苦しむ人が数えきれないほどおられます。国と国の間、民族の間の緊張は一向に解ける気配はありません。今年は、今まで以上に、それを痛感させられた年です。今も、世界は、主の誕生を、そして、それを謙虚な心で受け入れることを必要としています。主は、すでにお出でになりました。そのことを、今年もお祝いします。同時に、まだ、主が訪れていないわたしたちの現実も素直に認め、一人一人の心、特に、世界の歩みを左右する立場にいる為政者たちのこころを訪れ、平和への歩みを一歩先に進めることができますよう、祈りましょう。(S.T.)

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