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教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

年間第二十八木曜日(10/13)

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父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。。

エフェソ1:1
集会祈願

🌸 第一朗読 (エフェソ1:1-10)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙
 1神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。 2わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 3わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。 4天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。 6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 7わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。 8神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、 9秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。 10こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

🌸 答唱詩編 詩編98 典149 ①②

アレルヤ唱 典269 ㊼

🌸 福音朗読 (ルカ11:47-54)

ルカによる福音
 47〔そのとき、イエスは言われた。〕あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。 48こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。 49だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』 50こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。 51それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。 52あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」 53イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、 54何か言葉じりをとらえようとねらっていた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 

 今日の福音個所についてコメントを準備しているとき、ふとあるプロテスタントの伝道師さんの言葉が目に留まった。彼の説教の冒頭に掲げられた言葉は何と、「とんでもないテーブルスピーチ」。
 イエスが、人々の招きに応えて食事の席に着かれたことはよくあったようだが、イエスの言葉に一々難癖をつけるファリサイ派の人々の招きをも拒まれなかったのは注目すべきこと。しかし、そこで、イエスが彼らの問いを受けてなされたスピーチは、彼らの気持ちを逆なでするようなもの、まさに、「とんでもないテーブルスピーチ」。食事の前に身を清め、杯や皿の外側をきれいにすることには細心の注意を払うが、自分の内側はどうなのか。十分の一税の支払いには厳しい目を光らせるが、肝心な正義や神への愛はどうか。会堂の上席や広場での挨拶を好むが、本心は「人目につかない墓」のようなものだ、と。
 ファリサイ派の人々に加えて、律法学者にも厳しい言葉を投げかける。「人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本触れようとしない」と。そして、今日の福音の言葉、「あなたたちは不幸だ。自分の先祖たちの墓を建てているからだ。・・・先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからだ」と。そして、「今の時代の者たちが責任を問われることになる」と、二回も同じ言葉が語られる。「アベルからゼカルヤの血」まで、つまり、『創世記』に始まって『歴代誌』に至る、聖書に記された神の民の歴史の中で犯された人間の罪の責任がすべて今の時代に負わされる、と。
 これは、あまりにひどい発言ではないか。しかし、これは過去に犯された罪の責任がすべて現代の人々に負わされる、ということではなく、むしろ、現代の人間がそうした過去をもつ人類の一員であること、しかも、そうした人間の罪の現実の中に、人となられた神の子が自らの居を定め、その一員として、御自分の十字架の死をもって、そのすべての罪を贖われることの意味ではないか。
 一見、いかにも、厳しいイスラエルを断罪するように聞こえる言葉だが、そのような人間に対して、神は、あえて、御独り子を遣わし、その生と死を通して、御自分の命に迎え入れられる、その神の驚くべきいつくしみの愛を表すことば、その愛に心を開くよう、人々を回心に導く言葉として受け止めるべきではないか。
 ユダヤ人は、歴史を大事にする人々で、同時に墓をよく建てる。エルサレムの神殿の東、オリーブ山に向かう斜面には無数の墓石がある。その墓地の一番下に巨大な墓がいくつかあるが、その一つは、先に読まれたゼカルヤの墓。ゼカルヤは(預言書の著者ゼカリアとは別人)前8世紀ごろ、ユダの王ヨアシの変心を諌めたことで神殿で殺された人(歴代誌下24.20~)。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 分かち合いを読む前にコメントしてしまったが、今、分かち合いを読んで、今日の厳しい福音をイエス・キリストご自身が言っていることが真の救いだと思った。
     我々人間の罪深さやこの世の厳しい現実に直面させた上でイエスはしっかりとここにいてくれる。
     イエス・キリストは絶対的救いを体現しているからこそ相手の存在を揺るがす根本批判ができるのだろう。
     怒りすべてを否定するご時世だが、愛するゆえの怒りというものがあると思う。

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  2. 第一朗読と福音との対比。
    この世にいる以上、いずれか一方ということはない。
    昨夜の敵は今日の友。

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