非営利団体のボランティアのために祈る (12月)

年間第二十五主日(9/18)

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あなたがたは神と富とに仕えることはできない。

ルカ16:13
集会祈願

🌸 第一朗読 (アモス8:4-7)

アモスの預言 

4このことを聞け。
貧しい者を踏みつけ
苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
5お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。 6弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう。」
7主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
「わたしは、彼らが行ったすべてのことを
いつまでも忘れない。」

🌸 答唱詩編 詩編113 典51 ①②③

🌸 第二朗読 (一テモテ2:1-8)

使徒パウロのテモテへの手紙
 1〔愛する者よ、〕まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 2王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。 3これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。 4神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。 5神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。 6この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。 7わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。
 8だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。

アレルヤ唱 典270 25C

🌸 福音朗読 (ルカ16:1-13、または16:10-13)

ルカによる福音
 1〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。 2そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 3管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 4そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 5そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 6『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 7また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 8主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 9そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 10ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 11だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 12また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは神と富とに仕えることはできない。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日、9月18日は、国民の祝日―敬老の日の前日で、教会でも、敬老の祝福を行う日となっています。コロナの終息がまだ見込めず、しかも、大型で強い台風14号が接近していることもあって、雨が降り始めています。明日、米子で予定されていた、広島教区創立100周年の開年行事も、急遽変更となり、各小教区の18日のミサの中で祈るようにとの司教様からの通達が昨日届きました。

 そうしたことで、落ち着かない日となりましたが、少し、心を落ち着けてみ言葉に耳を傾けましょう。今日の福音は、ルカ福音書の16章から取られています。この世に生きる弟子たち、また、人々に語られたイエスの言葉ですが、繰り返し出てくるのは、「管理者」という言葉です。「管理者」と言えば、会計や財務の仕事、お金や物の管理を任された人と考えがちですが、もとの言葉、oikonomos (economus)はもう少し広く、家全般の世話をする、家の責任を任された人を指す言葉のようです。

 前半の話では、イエスは、多額の資産の管理を任されていた管理者が、ひそかに行っていた不正を告発されながら、姑息な手を使って何とか生き延びた話を例に、より値い高い永遠の富を委ねられたものが、心すべき教えを説いておられます。

 そこで打ち出された考えの一つは、「小さなことに忠実なものは、大きなことにも忠実である」という言葉です。小学校の時に聞いた、「小事に忠なる者は大事にも忠なり」は今でも忘れられません。ごく常識的な教えとも取れますが、この世における富の大小の問題ではなく、この世の富と、それと比較できないほど大きな天の富を対比しておられたのでしょう。天の富について教えられたものが、とかく、この世のことをおろそかにすることへの戒めなのかもしれません。「不正にまみれた富」とは、不正な手段で手に入れた富のことではなく、「この世の富」そのものを意味します。この世の富、神から与えられたもの、に忠実でなければ、どうして本当に価値あるもの、天の富をいただくことができましょうか。

 しかし、最後に加えられた言葉、「どんな召使いも二人の主人に仕えることはできない。・・・あなたがたは、神と富に仕えることはできない」、を忘れてはなりません。結局、「この世の富」、そして、それに対する忠実を大事にするとしても、唯一の主である神を忘れることは決してあってはならない、という強い教えではないでしょうか。

 今日は「敬老の祝福」の日です。高齢者の皆さんは、長い人生の間、様々な経験を積んでこられました。うれしいこと、楽しいこと、感動されたこともたくさんおありだったでしょう。同時に、辛い経験、忘れたいと思っても忘れられない苦い経験もあるかもしれません。その中には、この世の富にかかわることもきっと多くあるでしょう。しかし、今、その大きな務め、責任から解放され、もっと、心を天の富に向けるときかもしれません。この世の富から、解き放たれ、変わることのない富、永遠の富である、神ご自身に一歩近づく大事な時です。教皇フランシスコは、今年の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」のメッセージの中で、「年を取ることは、呪いではなく、祝福です」と言っておられます。そして、「わたしたちが手にした最も尊い道具、わたしたちの年代にもっともふさわしい道具を、もっとたくさん、もっと上手に使うことを覚え、それを果たしていきましょう。その道具とは、祈りです」と。今までお受けになった数限りない恵みに感謝しながら、一層神を賛美する日々、そして、人々のために祈る日々を送ることができますようお祈りしながらミサを続けましょう。(S.T.)

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