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あなたがたも用意していなさい。

ルカ12:40
集会祈願

🌸 第一朗読 (知恵18:6-9)

知恵の書

あの〔過越の〕夜のことは、我々の先祖たちに
前もって知らされており、
彼らはあなたの約束を知って
それを信じていたので、
動揺することなく安心していられた。
7神に従う人々の救いと、敵どもの滅びを、
あなたの民は待っていた。
8あなたは、反対者への罰に用いたその出来事で、
わたしたちを招き、光栄を与えてくださった。
9善き民の清い子らは、ひそかにいけにえを献げ、
神聖な掟を守ることを全員一致で取り決めた。
それは、聖なる民が、順境も逆境も
心を合わせて受け止めるということである。
そのとき彼らは先祖たちの賛歌をうたっていた。

🌸 答唱詩編 詩編33 典46③④⑤

🌸 第二朗読 (ヘブライ11:1-2、8-19)

ヘブライ人への手紙

 〔皆さん、〕1信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 2昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。

 8信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。 9信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。 10アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。 11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。 12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。

  《13この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 14このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。 15もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。 16ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

 17信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 18この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 19アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。》

アレルヤ唱 典269(19C)

🌸 福音朗読 (ルカ12:32-48)

ルカによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕

  《32小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 33自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 34あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」》

 35「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 36主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 37主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 38主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 39このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。 40あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

  《41そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、 42主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。 43主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 44確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 45しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 46その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。 47主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。 48しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」》

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 昨日、8月6日、教会は「主の変容」をお祝いしましたが、日本では、むしろ、広島に原爆が投下されて77年の記念の日で、広島では「平和記念式典」が行われ、教会も「平和祈願のミサ」、「原爆犠牲者やすべての戦争犠牲者ためのミサ」を捧げ、平和に関する様々な行事が営まれました。猛暑の中、「下関市民平和ウオーク」に参加された方もあるでしょう。

 こうした、平和について考えさせられる時期と、今日の典礼はどう関係するか、一見何の関係もないかのようにも思われます。福音は、短い版を読みましたが、そこには、アレルヤ唱が短くまとめているように、「目覚めて用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る」というテーマが展開されています。その時がいつになるかわからない、その時に向かって、いつも準備していなさい、と。

 戦後77年、ずいぶん長い時月が経過したように思われます。原爆にしろ、戦争体験にしろ、直接経験した方々の高齢化が進み、貴重な体験を語り継ぐ人が年々少なくなってきていると言われます。それだけ、戦争やそれに関連する悲惨な現実は昔々のこととして、意識から消えて行きがちです。しかし、幾ら時が経過したと言っても、その事実がなくなるわけではありません。

 毎週、ミサに与るたびに教会が行うことは、2000年以上も前にあったことの記念です。ミサを捧げるたびに、わたしたちは、あの十字架で亡くなられた方の死を記念し、復活をたたえるのです。決して、古くなって忘れてしまっていい出来事ではありません。あの悲惨そのものに見える十字架の死は、キリスト教信仰の核心そのものです。パウロは言います、「わたしたちは、十字架に付けられたキリストを宣べ伝えています」と。しかし、ミサは、ただ過去の出来事を記念するだけではありません。同時に、未来に目を向け、主が再びお出でになる日に向けて、心を整える大切な意味があります。「主の死を思い、復活をたたえる」のは「主が来られるまで」なのです。

 今日の福音は、まさに、そのような未来に目を向けさせる内容の言葉です。ルカ福音書において、世の終わり、そして、主の再臨はそれほど差し迫ったものではない、という認識から、世の終わりについての警告ではなく、むしろ、「今」を生きる知恵として記しているように思われます。そこで大事な事は、「待つ」という姿勢です。実は、今日の三つの朗読のどれにも、待つという言葉が出てきます。知恵の書が記しているように、旧約の民は、「人々の救いと敵どもの滅びを待っていた」と。第二朗読のヘブライ人への手紙の中で、「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していた」とあります。アブラハムの信仰は、まさに、まだ見ることのできない神の約束の実現を信仰の内に待っていたのです。そして、福音の中で、主イエスは「主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい」と言われます。

 豊かな時代に生きる人々は「待つ」、しかも、落ち着いて順番を待つことに慣れているように思えます。チケットを買う、予約をとる、検査や接種を受けるため順番を待つことに慣れてきました。たとえ時間がかかっても、期待しているものが手に入る、と確信しているから、落ち着いて待つことが出来るのです。しかし、「神の時」を待つことは、少し違います。いつまで待つべきなのか、待った先に何が来るのか、わからずに「待つ」ということです。単なる忍耐だけでは足りません。いつなのか、どのようなかたちなのか、分からずに待つこと。そのためには、開かれた心、信頼する心が必要です。「目覚めて用意していなさい」ということは、あれこれ、もてなしの準備に動き回ることではなく、むしろ、ふさわしい心で、主人の帰りをお待ちするということでしょう。ルカは強調します、「主人は、帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」。それが神の国の宴です。ヨハネが伝える主の晩餐の光景を思い出しましよう。イエスご自身が弟子たちの足を洗い、手拭いを取って、その足をぬぐわれます。わたしたちがミサでいただくのは、まさに、そのような僕となられた主の御体なのです。
 
 神の国の宴の前表であるミサに与る恵みを感謝しながら、宴の主である方の招きにふさわしく応えてゆけるよう祈りましょう。(S.T.)

年間第十九主日C(8/7)
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