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どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい

ルカ12:15
集会祈願

🌸 第一朗読 (コヘレト1:2、2:21-23)

コヘレトの言葉

 コヘレトは言う。
 なんという空しさ
 なんという空しさ、すべては空しい。

 21知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なことだ。 22まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。 23一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ。

🌸 答唱詩編 詩編95 典35①③④

🌸 第二朗読 (コロサイ3:1-5、9-11)

使徒パウロのコロサイの教会への手紙

 〔皆さん、〕あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 2上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。 3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。

 5だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。

  9互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、 10造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。 11そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。

アレルヤ唱 典272(18C)

🌸 福音朗読 (ルカ12:13-21)

ルカによる福音

 〔そのとき、〕群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 14イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 15そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 17金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 18やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 一仕事終えると、「これで一安心、やっとゆっくり休める」という思いになるのは、人間に共通した思い。仕事だけでなく、必要なもの、ほしいものが、手元にそろうと、これで大丈夫。それなりの収入を得、休暇もとれるようになると、学校を卒業し、よい就職口を見つけ、さらには、好ましい相手に恵まれたりすると、自分の人生の保証をすべて手に入れたような思いになっても不思議ではない。

 そうした喜びの絶頂にあるとき、思いもよらないことが降りかかってくることも珍しいことではない。災害が起き、犠牲者のことが紹介されるたびに、将来を嘱望されていた若者であるとか、結婚を間近に控えていた人であるとか、立派な事業に取り組み、完成間近だったり、とかいう人の話をよく聞く。

 ルカ福音12章に記された話は、そうした人間の思いを超えたところに神の計画があることを思いださせる、一つの警告のように思える。一つ一つの人生の目標、それを達成する喜び、それに向かって人々が積み重ねる努力、そうしたことを否定する話ではない。ただ、そうしたよいことも、神の目からすれば、決して絶対的な価値ではないということ、裏返せば、そうしたことすべてを越えたところに神の変わることのない永遠に残る価値があることを教えているのではないか。

 第一朗読の「コヘレトの言葉」は、旧約聖書の他の文書とは、どこか違う、異質にさえ感じる言葉に満ちた文書である。語っているのは、コヘレト(伝道者)、つまり、かつての偉大な王ソロモンの言葉とされる。あらゆる富と栄華を自らのものとし、周辺世界から知恵者としての名声を浴びて人生を生きた王。しかし、彼は、そうしたことのすべてが「空しい」という。だれが願っても手にすることのできない金銀財宝、周辺諸国から送られた贈り物とともに、皆が羨む美女たちに囲まれ、強大な軍隊を従え、大国の脅威をはねつける勢いをほしいままにした大王。そのかれが、晩年、「すべてがむなしい」と述懐したのはなぜか。これは、ソロモン王が生きた紀元10世紀からかなり時が経過した紀元前2世紀頃に記された言葉である。すでにギリシャ文化の影響を多分に受け、多様な価値観にさらされていた時代に生きた著者がイスラエルの民が信じた唯一の神への信仰、すべてにまさって価値のある神への信仰を訴えた言葉ではないか。ある専門家は、繰り返し語られる「空しい」という言葉は「空(から)」あるいは、「束の間」と訳したらよい、という。人間が頼りにする、もろもろのものが取り去られ、あたかも、空のコップのように、空間ができた状態、そこにこそ、まことの価値あるものが、満ちる余地が生まれてくる、というのである。

 第二朗読の「コロサイの教会への手紙」のなかでも、古い伝統的なユダヤ教の枠から、世界へと視野が広がる時代において、民族や身分、男女等の違いを超えて、復活された主が、すべての人に開いてくださった新しい世界の中で、「新しい人」として生きるよう、勧められている。それは、他の聖書箇所が示したような、人間が、いつの間にか縛られて、自由を失っている古い世界に一度死んで、「古い人」を脱ぎ捨て、神の霊に従って生きる人間、神の世界である「上のもの」を求め、「神の内に隠されている」新たな命、キリストの命を生きるものとなるようにという教えである。

 わたしたち洗礼を受けたものの内に残る、人間的な思いに目を向けながら、それを手放すことによって、はじめて与えられる、想像を超えた大きな自由、新たな希望、力強い歩みに、主が導いてくださるよう祈ろう。(S.T.)

年間第十八主日C(7/31)
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