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天の父は求める者に聖霊を与えてくださる

ルカ11:13
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記18:20-32)

 〔その日、〕主は言われた。
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。 21わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」
22その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。 23アブラハムは進み出て言った。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。 24あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。 25正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
26主は言われた。
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」
27アブラハムは答えた。
「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。 28もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
主は言われた。
「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
29アブラハムは重ねて言った。
「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
30アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
31アブラハムは言った。
「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
32アブラハムは言った。
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。
「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

🌸 答唱詩編 詩編138 典134①②③

🌸 第二朗読 (コロサイ2:12-14)

使徒パウロのコロサイの教会への手紙

 〔皆さん、あなたがたは、〕洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。 13肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 14規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。

アレルヤ唱 典269(17C)

🌸 福音朗読 (ルカ11:1-13)

ルカによる福音 

 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 2そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、
 御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
 3わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
 4わたしたちの罪を赦してください、
 わたしたちも自分に負い目のある人を
 皆赦しますから。
 わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
 5また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。 6旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』 7すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 8しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 9そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 10だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 11あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 12また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 13このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 異常気象や自然災害に加えて、最近、世界で、また、日本の社会の中で起きる痛ましい事件に心を痛め、犠牲者のために手を合わせ、花を手向ける人々の姿が、日常的にみられるようになった。人間は、だれに教えられることなく、自らの無力を感じさせられる時に、自分のため、愛する人のために祈るものです。

 神に選ばれ、特別な恵みを受けて歴史を歩んできたイスラエルの民は、当然のように、すべてを導かれる神に祈ることを学んできました。偉大な先祖、信仰の父と呼ばれるアブラハムは、不思議なはからいによって自分と家族を導いて来られた神に、避けがたい災難が降りかかろうとしたソドムとゴモラの人々のために、神に執拗に懇願し、救われることを祈りました。

 預言者たちも、民族を襲う悲惨の中で、神に信頼を置き、
 希望を失わないよう、回心を呼びかけ、励ましたのです。
 預言者の系譜の最後に連なる洗礼者ヨハネも、弟子たちに祈りを教えたのでしょう。今聞いたルカの福音の中で、祈りを終えたイエスに弟子の一人が「ヨハネが教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と頼みます。わたしたちがミサの中で、また、毎日、一度は唱える「主の祈り」と、祈りについてのイエスの思いを聞きました。
 あれだけ祈りについて教えられ、共に祈る習慣を世紀にわたって持ち続けてきたイスラエルの民に、イエスはどんな新しさをもたらされたのでしょうか。「主の祈り」について、今まで何度もお聞きになったことと思います。今あらためて一つ一つ解説するつもりはありません。ただ、一つの点だけ申し上げることにいたします。

 「主の祈り」は二つの部分から成り立つと言われます。前半は、直接神に向かう祈り、後半は人間の必要にかかわる祈り。そして、この順序を大事にしなければなりません。
 神に向かって、ルカが記すように「父よ」とするか、マタイのように「天におられるわたしたちの父よ」とするか、いずれにしても、神への呼びかけは、イエス独自のものです。人間を無限に超えた方である神に、「父よ」と呼びかけることが出来たのは、イエスお一人です。それは、神がイエスにとって、まさに「父」そのものでおられたからです。そして、イエスを信じる者、イエスに従う者にも「父よ」と親しく呼びかけることをお許しになったのです。

 人間は、生きている限り、様々な悩み・苦しみ・痛みを抱えています。後悔や罪悪感、恐れや不安にさいなまされて生きています。そして、そうした思いから解放されることを、願っています。しかし、イエスは、そうした願いを捧げる前に、まず、神ご自身に心を向け、賛美を捧げ、御国の到来を祈ることを求められます。自分に命を与え、家族の中で育てられ、教育を受け友人に恵まれ、健康や能力を与えてくださった神に感謝すること。仕事に恵まれ、よい配偶者と出会い、子どもたちに囲まれ、長寿に恵まれていること、感謝すべきことは限りなくあります。そのすべてを与えてくださった神に感謝し賛美すること。それだけで立派な祈りです。その上で、様々な願いをささげるようにとイエスは教えられます。

 かつて、預言者たちは厳しく戒めました。どれだけたくさんの犠牲を捧げ、苦行を行い、断食をし、定められた儀式の形式を守って祈ろうとも、心が神から離れていたなら、神は喜ばれない、と。自分たちの祈りが、もっぱら自分たちの願いの実現にだけ集中し、だれに向かって祈っているのか忘れるなら、そして、人間の行う祈りが神を人間の都合に合わせて操作するようなものになり下がるなら、それは、もはや祈りとは言えません。神を第一の方と認め、そのご意志が尊まれることをひたすら願うこと。それが、み名が崇められることであり、御国の到来を願うことです。その上で、自分の必要を申しのべること、それも、自分の望みだけを申し述べるのでなく、自分の弱く貧しく、不完全な現実を素直に認め、赦しを乞うのでなければ、本当の祈りにはなりません。「主の祈り」を通して、イエスは、そのような祈りの根本を教えておられたのではないでしょうか。

 「求めなさい、探しなさい、叩きなさい。」こうした、慰め深い言葉も、イエスが望んでおられた、根本的な祈りの姿勢、そして、父に対する徹底的な信頼の心があって、はじめて実を結ぶものとなるでしょう。(S.T.)

年間第十七主日(7/24)
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