Send by Email
Facebook
Twitter
Line
Print

わたしが求めるのは憐みであって、

マタイ12:7
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤ38:1-6、21-22、7-8)

イザヤの預言

 そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。 2ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。 3「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。

 4主の言葉がイザヤに臨んだ。 5「ヒゼキヤのもとに行って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、 6アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く。」

 21イザヤが、「干しいちじくを持って来るように」と言うので、人々がそれを患部につけると王は回復した。 22ヒゼキヤは言った。 「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか。」

 7ここに主によって与えられるしるしがあります。それによって、主は約束なさったことを実現されることが分かります。
 8「見よ、わたしは日時計の影、太陽によってアハズの日時計に落ちた影を、十度後戻りさせる。」
太陽は陰の落ちた日時計の中で十度戻った。

🌸 答唱詩編 詩編30 典65①③

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マタイ12:1-8)

マタイによる福音

 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。 2ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。 3そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。 4神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。 5安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。 6言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。 7もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。 8人の子は安息日の主なのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 安息日の掟のことを考えると、ユダヤ人は何と頑なで融通のきかない民族なのだろう、と考える。法律を固く守る、という点で、日本人と似ているかもしれない。
 イエスは、法に縛られない、法を超越した人か。必ずしも、そうではない。マタイは、イエスの立場について「山上の説教」の中で記している。「わたしは律法や預言者を廃止するために来たのではない。廃止するためではなく、完成させるために来た」と言う。法の字面ではなく、法が目指すもの、その目的・精神を大事にする、というのだ。
 安息日の掟は、一週間の中、7日目に当たる日(土曜日)を聖なる日として、一切の仕事をしてはいけない、という掟。それは、神がこの世界の創造のわざを6日で完成され、7日目を休まれた(安息された)こと、さらには、エジプトの奴隷状態から解放された、その出来事を記念して神に感謝し、賛美する日。
 だから、安息日は、ただ、疲れた体を休めるだけでなく、この世界がすべて神の力・命によって生かされ、支えられていることを思い、神に感謝し、賛美するための、特別な日、聖なる日なのだ。人間が働かなくても、働けない状況に置かれても、神が必要なものをすべて準備してくださっていることを、思い出す日なのだ。
 はたして、日本では安息はどのように考えられているだろうか。休みの日にも、仕事をしなければならない人がいる一方、有給を消化させることばかりに関心が向かう人がいる。心を神に上げる、真の安息日はいつ来るのだろうか。(S.T.)

年間第十五金曜日(7/15)
Send by Email
Facebook
Twitter
Line
Print
Tagged on:         

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。