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教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

年間第十四主日C(7/3)

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『この家に平和があるように』

ルカ10:5
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤ66:10-14c)

イザヤの預言

10エルサレムと共に喜び祝い
彼女のゆえに喜び躍れ
彼女を愛するすべての人よ。
彼女と共に喜び楽しめ
彼女のために喪に服していたすべての人よ。
11彼女の慰めの乳房から飲んで、飽き足り
豊かな乳房に養われ、喜びを得よ。
12主はこう言われる。
見よ、わたしは彼女に向けよう
平和を大河のように
国々の栄えを洪水の流れのように。
あなたたちは乳房に養われ
抱いて運ばれ、膝の上であやされる。
13母がその子を慰めるように
わたしはあなたたちを慰める。
エルサレムであなたたちは慰めを受ける。
14これを見て、あなたたちの心は喜び楽しみ
あなたたちの骨は青草のように育つ。
主の御手は僕たちと共にあ〔る〕ことが
こうして示される。

🌸 答唱詩編 詩編66 典130①②④

🌸 第二朗読 (ガラテヤ6:14-18)

使徒パウロのガラテヤの教会への手紙

 〔皆さん、〕このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。 15割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。 16このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。

 17これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。

 18兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。

アレルヤ唱 典272(14C)

🌸 福音朗読 (ルカ10:1-12、17-20、または10:1-9)

ルカによる福音

 〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 7その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 9その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 」

 《10「しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。 11『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。 12言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」

 17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」》

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 日本の夏と言えば、長い梅雨が終わり、ようやく青い空と熱い日射しが照り付ける、待ちに待った季節という印象がありますが、今年は、梅雨らしい長雨もなく、梅雨入り前から、季節外れの暑さに見舞われ、やむを得ず梅雨明け宣言を出すという、異常な気象に悩まされています。

 そんな中、教会の典礼も、7月に入り、年間第14主日を迎えています。復活祭を祝ったのも、ずいぶん前のことのように思えます。一旦収まったかのように見えたコロナ感染症も、ここへきて、「第7波」の声も聞こえるようになりました。遠い世界に思えるウクライナでの戦争も、終結どころか、世界を二分する根深い対立が一層深まったようにも思えます。

 そんな様々な問題を抱えた現実に生きるわたしたちに、今日のみ言葉は何を語っているのでしょうか。イザヤの預言から取られた第一朗読では、連祷のように、「喜び」という言葉が響きます。「エルサレムと共に喜び祝い、彼女のゆえに喜び踊れ」。「彼女と共に喜び楽しめ。彼女のために喪に服していたすべての人よ」と。

 これは、イスラエルの民が受けた大きな恵みのゆえに喜べ、というのではありません。むしろ、喜べない状況、つまり、バビロンでの長くみじめな捕囚が終わり祖国への帰還が実現したにもかかわらず、度重なる不運の中で苦しみ悶える民に、神の慰め、そして、喜びを約束する預言の言葉です。それは、政治家が語るような口約束ではなく、神のことばを受けた預言者の確信に満ちた言葉です。主が共におられ、決してお見捨てになることはない。どんなに困難な状況の中でも、必ず道を開いてくださるという確信です。

 先年来日され、印象深い言葉を各地で語ってくださったフランシスコ教皇のメッセージも、いつも喜びにあふれています。就任後最初に出された文書は、世界中の人々に深い印象を与えた使徒的勧告『福音の喜び』でした。それに続く文書も、『愛のよろこび』、そして、『喜びに喜べ』です。これだけ、喜ぶことのできない現実に生きるからこそ、教皇は敢えて、「喜べ」と語っておられるのでしょうか。

 預言者の言葉は「喜び」だけに留まりません。彼は神のことばを続けます、「主は言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう 平和を大河のように 国々の栄えを洪水の流れのように」と。平和は、喜びと共に、主がお与えになる恵みです。力で勝ち取るものではありません。自らの無力と、みじめさの中から立ち上がらせてくださる神の恵みです。絶望に沈んだ弟子たちに復活の主が出会われたとき、発せられた言葉は、「平和があるように」でした。そして、福音を携えて行くもののあいさつは「平和があるように」です。

 イエスが弟子たちを、12使徒に限らず、72人という大勢の弟子を派遣するにあたって、言われた言葉は、「財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶するな。そこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなた方の願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」人間的な知恵や力に頼らず、ひたすら神に信頼し、神の恵みに自らと出会う人々を委ねなさい、ということです。平和は、神が授ける恵みです。今、世界が最も必要とし、人々が願っている平和は、何よりも、神からの恵みであることを心に銘記しなければなりません。自分と神との間に、自分と他人との間に、そして、自らの内に平和がなければ、平和をもたらすものとなることはできません。

 そして、その平和のために、主がまず、ご自分を人々の手に渡されたことを思い出しましょう。先日、その祝日を祝ったパウロは言います、「わたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」と。あの人々が目を背ける十字架の中に、パウロは自分のすべてを投げ打っても惜しくない誇りを見出しているのです。そして、言います、「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」と。この細江教会が保護者として仰ぐ聖ペトロも、パウロと同じく、ローマで、自らの血をもって主イエスの証しを立てました。一昨日、記念を行った福者ペトロ岐部と187人の殉教者、そして、数えきれないほどのキリシタンたちも、主イエスの証しのために、自らをささげました。

 こうした先輩方が立派な模範によって示してくださった命への道をわたしたちも歩み、真の喜びと平和を世にもたらすものに加えていただけるよう祈りましょう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comment

  1. 地元付近の教会に久しぶりに行った。1時間以上早く到着したので祈っていると若い初めて会う司祭が後ろの告解室の前で困ってる様子。何と告解室が物置になっていた。場所を応接室に移す前に、
    まず準備を!モーセの十戒を参照して、と言われた。冒頭からショックを受けた。十戒も主の祈りもマタイ6章後半と同じく,まず神との関係!
    自分のことや、まして人間関係以前に、神との関係を失えばすべてが滅びる。
    聖土曜日に違法逮捕され復活祭の翌日釈放されて家に私が到着する5時間前に母は拉致されて以降行方不明だが、検察が言う通り拉致という構成要件はないし、弁護士が言う通り北朝鮮の拉致と同じく国家や組織や地域ぐるみ犯罪は立証が難しい。
    しかし、そもそも我々はこの世の法廷の証人ではない。神、イエス・キリストの証人なのだ。
    こんな当たり前のことを私は忘れていたのだ!
    無神論者サルトルが天国で笑ってる!
    彼はこの世にいた頃、国際戦犯法廷の正統性根拠を、
    無力であることと普遍であること、
    と言っていた。
    お月さんが笑ってる!
    が口癖だった母と
    母なる教会と、そして神に感謝!

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