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すべて良い木は良い実を結び、

マタイ7:17
集会祈願

🌸 第一朗読 (列王記下22:8-13、23:1-3)

 8そのとき大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました」と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。 9書記官シャファンは王のもとに来て、王に報告した。「僕どもは神殿にあった献金を取り出して、主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡しました。」 10更に書記官シャファンは王に、「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」と告げ、王の前でその書を読み上げた。 11王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。 12王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記官シャファン、王の家臣アサヤにこう命じた。 13「この見つかった書の言葉について、わたしのため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ。」

 1そこで王は人を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老を自分のもとに集めた。 2王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭司と預言者、下の者から上の者まで、すべての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。 3それから王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った。民も皆、この契約に加わった。

🌸 答唱詩編 詩編119 典75②③

アレルヤ唱 典264(5B)

🌸 福音朗読 (マタイ7:15-20)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。 16あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。 17すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 18良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。 19良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 20このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「偽預言者を警戒しなさい」(マタイ7:15)。

 聖書で言う「預言者」は、私たちが一般に言う「予言者」とは異なり、神のみ言葉を預かって話す人のことです。神は預言者に「将来起こること」を話させることもありますから、そのときには「預言」が「予言」を含むことになります。すなわち、「預言者」は神に呼ばれて、その託宣を語り、また神の霊の力を借りて神から預かったみ言葉を伝える人なのです。洗礼の恵みを受けた私たちも預言者だと呼ばれています。主イエスに従い、福音を宣べ伝え、神の憐れみと愛を証していく者なのです。

 この福音の個所の中では、「偽預言者」を見分ける方法は結ばれた「実(fruit)」であると書いています。この実について、聖パウロは次のように語っています。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です」(ガラテヤ5:22-23)。この実は預言者が結んだ実と同様です。「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです」(ガラテヤ5:24)。一方、肉の業は「姦淫、わいせつ、好色、 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです」(同、19-21)。これらは偽預言者が結んだ実と同様です。

 さて、個人的な生活の中で虚偽を避けるにはどうすればよいですか。それは真理を生きるのです。神による真理、神のみ言葉による真理、そしてその恵みによる真理です。主イエスが「わたしは道、真理と命である」と言われています。だから、主イエスにとどまるならば、真理を生きることができるし、よい実を結ぶことができるのです。

 神による真理を忠実に生きる人は、自分の力が自分自身ではなく、私たちが必要なものを与えてくださる神に頼ることを知っています。キリストの弟子の実は、信仰、希望と愛、正義、慎重さ、不屈の精神、そして節制によって特徴づけられます。私たちは自分の人生で良い実を育て、悪い実を生み出すものを何でも拒絶しようとしていますか。

 ちなみに6月20日午後、メキシコで、イエズス会のハビエル・カンポス神父とホアキン・モラ神父が、教会に避難しようとし、武装した人に追われていた男性を守ろうとして暗殺されたことを耳にして、深い悲しみと苦悩を感じました。私たちの世界では暴力と多くの不必要な苦痛を止めなければならないと思っております。この二人の神父とその遺族の方々のためにお祈りしております。

年間第十二水曜日(6/22)
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One thought on “年間第十二水曜日(6/22)

  • 6月 22, 2022 at 9:40 am
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    ガラテヤ書が引用されて具体的でわかりやすく今ゆっくり自分を振り返っています。
    枢要徳についても判断力とは慎重さであり勇気とは不屈の精神と言われてようやく自分を照らす光となっています。
    メキシコの二人のイエズス会神父の死は自分の深いところで受けとめたい。同じく母と私が受けている理不尽な苦悩も反射的にならず心の一番深いところにいるイエスの軛として受け入れたい。

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