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聖アロイジオ・ゴンザガ修道者

狭い門から入りなさい

マタイ7:13
集会祈願

🌸 第一朗読 (列王記下19:9b-11、14-21、31-35a、36)

 〔その日、アッシリアの王、センチケリブは〕ヒゼキヤに使者を遣わして言わせた。 10「ユダの王ヒゼキヤにこう言え。お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはないと思ってはならない。 11お前はアッシリアの王たちが、すべての国々を滅ぼし去るために行ったことを聞いているであろう。それでも、お前だけが救い出されると言うのか。
 14ヒゼキヤはこの手紙を使者の手から受け取って読むと、主の神殿に上って行った。ヒゼキヤはそれを主の前に広げ、 15主の前で祈った。
 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。 16主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて御覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブの言葉を聞いてください。 17主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、 18その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません。彼らはこれを滅ぼしてしまいました。 19わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」
 20アモツの子イザヤは、ヒゼキヤに人を遣わして言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『アッシリアの王センナケリブのことであなたがわたしにささげた祈りをわたしは聞いた。』 21主がアッシリアの王に向かって告げられた言葉はこうである。
 おとめである、娘シオンは
 お前を辱め、お前を嘲る。
 娘エルサレムは
 お前に背を向け、頭を振る。
 31エルサレムから残った者が、シオンの山から難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就される。
 32それゆえ、主はアッシリアの王についてこう言われる。彼がこの都に入城することはない。またそこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない。 33彼は来た道を引き返し、この都に入城することはない、と主は言われる。 34わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために。」
 35その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。36アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。

🌸 答唱詩編 詩編48 典50①③

アレルヤ唱 典261⑮

🌸 福音朗読 (マタイ7:6、12-14)

 〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
 人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。
 13「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 14しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 アロイジオについて、二つの対照的なイメージがある。
 一つは、伝統的な白いスルプリを着、白百合を手にもって祈る、まさに純潔の模範とも言うべき聖人の姿。もう一つは、病人をかかえるたくましい青年アロイジオを刻んだ彫刻。どちらも、間違っていないだろうが、後者に魅かれる。
 アロイジオは16世紀末のイタリア貴族の家に生まれ、将来を嘱望され、スペイン王の宮廷にも出入りしたが、母親譲りの深い信仰ゆえに、そうした富と栄華にまみれた環境に満足できず、家督を弟に譲ってイエズス会に入会(17歳)。ちょうど、中浦ジュリアン等、天正少年使節がローマを訪れ、マントーバに赴いた折、黙想中で会うことができなかった。神学の勉強中の1585年、近年世界を襲ったコロナにも似たペスト罹患者救済を申し出たが、ゆるされず、危険の少ないと思われたところで、活動中に発病し、23歳で帰天。
 今日のマタイの福音では、三つの格言のような言葉が読まれたが、いずれも、アロイジオにぴったりの言葉に思える。容易に人には理解されないような「真珠」を見つけ、そのためにすべてを投げ打った若者。人々から見放され、希望を失った病者に寄り添い、まさに、彼らが「人にしてもらいたいと思うことを」命がけで行った青年。そして、「狭く、細く、見出す人が少ない道」を通って、真のいのちに導かれた若い聖人。そうした生き方に魅かれ、自分もそんな生き方をしたいと望む若者が、日本の教会に与えられるように、また、わたしたち自身も、与えられた場で、そんな招きに応えてゆくことができるよう恵みを祈ろう。(S.T.)

年間第十二火曜日(6/21)
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One thought on “年間第十二火曜日(6/21)

  • 6月 21, 2022 at 9:06 pm
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    アロイジオのような青年にはコンプレックスを感じていたが先日久しぶりにある老司祭と電話ができ僕より若いその言葉にものすごい力を頂いた。イエスの仲間って不思議だ。天が開けている。僕は毎日が、否、下手すると、その瞬間瞬間が死と復活の繰り返しだけど何とかついて行きたいと思う。

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