♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向:女性の役割 (4月)

復活節第六主日(5/22)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

わたしは、平和をあなたがたに残し、

ヨハネ14:27
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録15:1-2、22-29)

使徒たちの宣教

 〔そのころ、〕ある人々がユダヤから〔アンティオキアに〕下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 2それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。
 〔この問題について協議するためにエルサレムで集まった〕使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。 23使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。 24聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。 25それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。 26このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。 27それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。 28聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。 29すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」

🌸 答唱詩編 詩編 典

🌸 第二朗読 (黙示録21:10-14、22-23)

ヨハネの黙示

 〔一人の〕天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。 11都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。 12都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。 13東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。 14都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。
 22わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。 23この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ14:23-29)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 24わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。 26しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 27わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 28『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。 29事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 復活節も後半、来週は主の昇天、そして、その次の週は聖霊降臨の主日を迎えます。福音は先週に続いて、ヨハネが記す最後の晩餐での説教が読まれました。
 いよいよ弟子たちと別れ、この世から父のもとに帰ろうとするイエスは、弟子たちと、イエスに従うキリスト者皆に残そうとするものについて語ります。イエスは、すでにたくさんの言葉を弟子たちに、また、人々に語られました。その言葉一つ一つがイエスの残される思いー遺言です。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」。そして、「わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」と。何と慰め深い言葉でしょう。
 しかし、イエスが残されるものは、それだけではありません。少し前に語られた言葉です、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる」と。弁護者とは、人の味方となって、代わりに語ってくれる人のことです。イエスが送ると言われる弁護者は、まさに、弟子たち、わたしたちにとって、頼りになり、力になる聖霊のことです。そして、先ほど聞かれたように、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」のです。
 しかし、イエスが残してゆかれるものに、もう一つ大事なものがあります。それは、平和です。「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」と。今、世界中の人が望んでいる平和、それをイエスが与えるというのです。しかし、イエスが与える平和は人間が、武力で、あるいは、政治的な駆け引きで作り上げようとする平和ではありません。「わたしは、これを、世が与えるように与えるのではない」と断っておられます。イエスが与えようとする平和は、神の恵みとしての平和、神が与えようとする賜物をいただこうとする心があって、はじめて現実のものとなる平和です。
 イエスが与えると約束される賜物―み言葉、聖霊、そして、平和―その中心になるのは聖霊です。間もなく聖霊降臨の主日をむかえます。これは、まさに、復活された主イエスが、弟子たちの上に神の霊を注がれたことを記念する日です。あの弱く、鈍く、的外れなことを口走っていた使徒たちを、別人のような、力強い宣教師としたのは聖霊によるものです。
 聖霊は、イエスの言葉、聖書に書き記された言葉を、死んだ文字ではなく、生きた、人を生かす言葉とする力をもっています。言葉の意味を解き明かすだけでなく、それを実行し、生きる力、愛する力を与えるのが聖霊です。イエスが与えると約束された真の平和が、人々の心に芽生え、人と人を融和させ、互いに受け入れ合うことを可能にするのは聖霊です。
 どうか、聖霊の力が人々の心に働き、少しでも、主が望まれる真の平和に近づくことができるよう祈りましょう。
 今日、復活節第六主日は、「世界広報の日」に定められています。今年は第56回目の広報の日とあります。第二バチカン公会議で、『典礼憲章』についで、二番目に採択されたのが『広報メディアに関する教令』の中で、こうした日を制定することが提唱されたことに、今回はじめて気づきました。1966年、という、そんな時に、すでに教会の広報に対する関心が強かったということにあらためて驚かされます。

 昨年のフランシスコ教皇のメッセージのテーマは、「来て、見なさい」でしたが、今年のテーマは「心の耳で聴く」です。教皇は言われます、「神は、語ることによって人間をご自分の似姿として造り、聴くことによって人間をご自分の対話の相手として認めます」と。神は、語るだけでなく、人間の声、叫び、時には言葉にもならない呻きを聞いておられるのです。「広報、メディア」の問題で、こうした点に触れられることは、一種の驚きです。しかし、今の時代、人は神のことばどころか、「目の前にいる人に耳を傾けること、向き合おうとする他者に誠実に、信頼をもって、正直に心を開いて耳を傾けること」さえ、難しくなっているのではないでしょうか。教皇は、話している相手、聞いている内容、聞き方に注意して聞くことを強調した上で、聖アウグスチヌスの言葉を引用して、「心で聴くこと」、つまり、肉体的な感覚でではなく、「霊的に心で受け取る」ことを勧めます。さらに、プロテスタント神学者ディートリッヒ・ボンへファーの言葉、「兄弟に耳を傾けることのできない人は、いずれ、神に耳を傾けることもできなくなる」を紹介し、「互いに耳を傾け合う」ことが、もっとも尊く豊かな贈り物、他者に対する第一の奉仕の業であることを思い起させます。
 こうした機会に、情報機器の発達により、瞬時にして世界の情報を得ることができる恵みに感謝するとともに、具体的な人々とのかかわりが、真に「心で聴く」ものになっているか、振り返る時といたしましょう。(S.T.)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

関連投稿🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

コメントする