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教皇の意向:女性の役割 (4月)

聖木曜日(3/28)

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あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない

ヨハネ13:14
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト12.1-8、11-14)

 1エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。 2「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。 3イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。 4もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。 5その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。 6それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、 7その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。 8そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。
  11それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。 12その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。 13あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。 14この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。

🌸 答唱詩編 詩編116 典97①②③

🌸 第二朗読 (一コリント11.23-26)

 23〔皆さん、〕わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、 24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

詠唱 ア253 ⑤b

🌸 福音朗読 (ヨハネ13.1-15)

ヨハネによる福音

 1過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 2夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。 3イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、 4食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 5それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。 6シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。 7イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。 8ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 9そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」 10イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 11イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
12さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。 13あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。 14ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。 15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 受難物語には必ず、12使徒の一人、イスカリオテのユダの名前が出る。師イエスが十字架で亡くなられたこと自体も、大きなつまずきだが、こともあろうに、その12使徒の一人、ユダがイエスを裏切り、当局の手引きとなって、イエスを直接死に追いやったことは、それに勝るとも劣らない恥と言うべきこと。しかし、イエスの復活後、イエスを信じて従っていったものにとって、そうした人間的な弱さや失敗は、神の救いの業、また、人間への神の愛を表すものとして、無視することのできない大事な要素であったことを忘れてはならない。
 ユダは師、イエスを裏切る、そして、師はそれをあらかじめご存じであった。にもかかわらず、それを留めようとせず、むしろ、それに自らを委ねられた。裏切りは、悪であり罪である。裏切ったものの責任は逃れることが出来ない。しかし、裏切りは、突然、突発的に起きたことではない。ユダには、いつからか、イエスの考えにはついて行けない、イスラエルを救うメシアではありえない、という思いが強くなっていったのではないか。そして、最終的に、ユダは、冷徹な計算、損得勘定によって、師を裏切る決断をしたに違いない。その証拠に、今日の朗読のはじめに、ユダは、祭司長のもとに行って尋ねる、「あの男をあなたに引き渡せば、幾らくれますか」とある。
 ユダは、他の使徒以上に、優れた才能に恵まれた男だったかもしれない。使徒団の会計を任されていたこともそれを証している。残念ながら、彼には、イエスを愛する心、人間の思いを超えた神の慈しみに開かれた心がなかった。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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