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教皇の意向:女性の役割 (4月)

四旬節第五土曜日(4/1)

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過越祭が近づいた

ヨハネ11:55
集会祈願

🌸 第一朗読 (エゼキエル37.21-28)

 21主なる神はこう言われる。わたしはイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の中から取り、周囲から集め、彼らの土地に連れて行く。 22わたしはわたしの地、イスラエルの山々で彼らを一つの国とする。一人の王が彼らすべての王となる。彼らは二度と二つの国となることなく、二度と二つの王国に分かれることはない。 23彼らは二度と彼らの偶像や憎むべきもの、もろもろの背きによって汚されることはない。わたしは、彼らが過ちを犯したすべての背信から彼らを救い清める。そして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。 24わたしの僕ダビデは彼らの王となり、一人の牧者が彼らすべての牧者となる。彼らはわたしの裁きに従って歩み、わたしの掟を守り行う。 25彼らはわたしがわが僕ヤコブに与えた土地に住む。そこはお前たちの先祖が住んだ土地である。彼らも、その子らも、孫たちも、皆、永遠に至るまでそこに住む。そして、わが僕ダビデが永遠に彼らの支配者となる。 26わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。それは彼らとの永遠の契約となる。わたしは彼らの住居を定め、彼らを増し加える。わたしはまた、永遠に彼らの真ん中にわたしの聖所を置く。 27わたしの住まいは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 28わたしの聖所が永遠に彼らの真ん中に置かれるとき、諸国民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知るようになる。」

🌸 答唱詩編 詩編65 典183 ②③

詠唱 典263 ②

🌸 福音朗読 (ヨハネ11.45-56)

ヨハネによる福音
 45〔そのとき、〕マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。 46しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。 47そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。 48このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」 49彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。 50一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」 51これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。 52国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。 53この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
54それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。
55さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った。 56彼らはイエスを捜し、神殿の境内で互いに言った。「どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 イエスとユダヤ人の間の激しいやりとりは平行線を辿り、イエスを信じる民衆が存在する一方、ユダヤ人指導部のイエスへの反感、敵意は極みに達し、最高法院でイエスの問題を処理せざるを得ない所までくる。

 その年の担当の大祭司カイアファは、神の意思を識別する祭司としてよりも、実利を優先する政治家としての立場から、神殿や国全体がローマ軍によって滅ぼされるよりも、一人の人間が犠牲になる方が、よほど理に適っていると結論付ける。あくまで、人間中心的な判断。しかし、神は、そのような人間的な判断をも、ご自分の計画(人類全体の救い)遂行のために利用なさる。カイアファは「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか」と言う。そして、ヨハネ福音記者は、それを神の計画の実現の預言ととらえ、イエスが「国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるために死ぬ」と記し、イエスの死のもたらす救いの広がりを示すのである。

 国や組織の命運が、人々の総意や善意ではなく、時の為政者の判断で決まることを、嫌と言うほど経験するわたしたちも、そうした人間の判断をも神がよい目的のために利用されるという視点も忘れてはならないのではないか。そして、そうした人間的な判断を、救いの遂行のために利用される父なる神に、全幅の信頼を寄せる御子のみ心に思いを馳せよう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. 狂人になるとは、「自分の真理」(回勅『真理に根ざした愛』)を悟り、それに基づいて言動表出すること。
    カントは真善美を分けたが、しかし、真理である以上、善さそのものであり、美しい愛となる。

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  2. 以前も書いたが殉教と発狂は似ている。

    人が「狂気」になったとき、偉大なことが成就される。鈴木大拙

    国土狂人化を成し遂げよう。

    万国の狂人よ
    突き抜けよ!

    返信

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