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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第七主日(C)

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あなたがたの父が憐れみ深いように、

ルカ6:36
集会祈願

🌸 第一朗読 (サムエル上26:2、7-9、12-13、22-23)

🌸 答唱詩編 詩編 典

🌸 第二朗読 (1コリント15:45-49)

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ルカ6:27-38)

ルカによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 28悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 29あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。 30求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。 31人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 32自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。 33また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。 34返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。 35しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。 36あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

 37「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」という言葉は本当に有名な言葉だと思います。この文字通りに行うことができるでしょうか。

 この言葉を律法として、命令として受け止めると、自分が苦しくなってくる、ということがあります。主イエスは決して、律法や掟として語っているのではないと思います。主イエスご自身は必ずしもそのとおりにはしていません。ヨハネ福音書18章で、主イエスが逮捕され、大祭司のところで取り調べを受け、大祭司の下役が主イエスを平手で打った、という場面がありますが、そのとき、主イエスは反対の頬を差し出したか、というとそんなことはありませんでした。そうではなく、「何か、悪いことを私が言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」(18:23)と正義を主張しています。我慢するのではなく、正義を主張すべきときもあるのです。だから、決して、文字通り、言葉通りに行えという命令とか掟として受け取るべきではないと思います。

 さて、主イエスの言葉は根本的に「解放の福音」です。人を縛っているものからその人を解放するための言葉です。人間は、ひどい目に遭ったときに、憎しみの心を起こし、復讐したいとか、償わせたいと思うことがあります。それは当たり前だし、ある意味で正当なことでもあるのですが、その思いに縛られてしまうと厄介です。復讐や憎しみの心に縛られてしまったときに、自分がどんどんだめになってしまう、と感じることがあります。結局いつまでも相手に振り回されていることになります。あの人のせいで自分はいつまでも幸せになれない、ということになってしまうわけです。

 更に、傷つけられ失ったものがあるわけですが、それはどうやっても元には戻りません。憎んだり、復讐したり、逆に赦したりしたからと言って、失われたものが返ってくるわけではありません。失われたものをなんとか取り戻そうとする試みは実は全て挫折する、と言えるかもしれません。でも、だからこそ、私たちは憎しみや復讐で自分の人生を終わらせたくないし、という思いもあるのです。

 「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい」。ポイントはここにあると思います。解放されるのは自分自身の力ではなく、神の深い憐みによるのです。

 ですから、根本にあるのは、神との出会い、つながりです。あえて言いますが、「人を赦せない自分」というのがあったら、それをそのまま神に差し出したらいいと思います。神はその私を愛してくださる。神から大きな愛と力を与えられ、だから、本当に深いところで私を傷つけることはだれにもできない、と思ったときに初めて解放の福音が始まります。現実には難しいですが、私たちはそのことをいつも求めていきたい。神の愛に出会うこと、「あなたがたの父は憐れみ深い」と主イエスがおっしゃる父である神に、深く出会っていくこと、そこから私たちを解放し、立ち上がらせる力が与えられるのだと思います。

 今日、その力を神から与えていただけるようご一緒に祈っていきたいと思います。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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